かぐらかのん

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「『老いる』とはどういうことか(河合隼雄)」を読む。「自己実現」としての老い。

 

 

 
 
 
読売新聞でのコラム連載を基にした110編と免疫学の多田富雄氏との対談。河合先生のエッセイの中でも比較的短く、1編1分くらいで読めます。何気ない文章の随所に、ユング派分析家、あるいはカウンセラーとしての深い洞察が感じられます。
 
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カール・グスタフユングは無意識を個人的無意識と集合的無意識に分け、後者は個人的なコンプレックスを超えた人類共通の先天的な精神力動作用である「元型」によって構成されるとしました。
 
さらにユングは意識の枢要としての自我とは別に心全体の中心として「自己」の元型を仮定し、人は生まれてから死ぬまで、自己の全体性の回復を目指し続けて行く「自己実現の過程」にあるといいます。
 
もっともユング的な自己実現とは、その辺でキラキラワードとして安直に用いられる「自己実現(笑)」とは違いまして、総てを呑み込もうとする「太母」、自らの生きられなかった半面である「影」、あるいは自らの中にある理想の異性像である「アニマ・アニムス」といった様々な元型との対決の過程に他ならず、それは時に凄まじい内的体験を伴ういばらの道といえます。
 
けれどもこのような困難を抱えながらもこの日常を生き抜ぬいていくことで、自我はより高次の統合へ導かれていく。もしそうであれば、そこにはきっと、実り多き素敵な人生というものが開けてくるのではないでしょうか。
 
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その意味では「老いる」ということも自己実現のひとつの過程に他なりません。老いの道とは老いの未知だと本書はいう。我々はいろいろな形で「老い」に接しています。
 
今現在の他の誰かの「老い」。いつかくる自らの「老い」。「老い」は一人一人が違うものであり、色々の対策法やマニュアルも大事だけれども、これを教条的に受け止め過ぎると悲劇が生じてしまうこともある。
 
河合先生はカウンセリングの入門書などで常々「カウンセラーは一見相反するかに見える二つの相を同時に観なければならない」「カウンセラーは生きた態度でなければならない」ということを強調されています。
 
本書でも「このわたしが、このあなたにしか言えない言葉、そんなのをひとつでも探し出して、語りかける努力をしたいものである」というひときわ印象的な一節がありますが、これは氏のカウンセラーとしての信念と通底する部分を感じるところです。