かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

我々はいつも理解しようとするから誤解する--精神分析技法の基礎(ブルース・フィンク)

 

 

本書はラカン精神分析の臨床技法を扱ったものです。そういうと、なんかものすごく専門的な狭い領域のように思えますけど、「臨床」っていうのはつまるところ、人と人の関係する場を言うのであって、精神分析やカウンセリングの場にとどまらず、日常的なコミュニケーションはもちろん、映像や文芸などの作品に触れることも広い意味では「臨床」です。
 
要するに誰もが日々是「臨床」であり、そういう意味では本書は極めて実用的なラカン本とも言えるかもしれません。
 
理解しようとするな
分析家は向こう見ずにも理解することとの関わりによって根本的に誤解するのですから。私は学生たちに繰り返し「理解しようとするな!」と言っています(ラカン)(14頁)
 
「無意識は言語のように構造化されている」「欲望は他者の欲望である」「性関係は存在しない」「女性は存在しない」などなど・・・人を煙に巻くような数々の悪名高い迷言で有名なジャック・ラカンですが、最も重要な臨床実践の面においても、あろうことに分析主体(クライエント)の話を「理解しようとするな」などとなかなかの放言ぶりです。
 
けれども、これはむしろ真理の一面を言い得ているというか、カウンセリングの基本原則であるロジャーズ3原則を裏面から照射しているところがあります。
 
ロジャーズ3原則というのはアメリカの心理学者カール・ロジャーズが示したセラピストの基本的態度のことで、大抵どのカウンセリングの入門書にもイロハのイのような位置づけで載っています。
 
1 無条件受容・・・相手の言動、想念、立居振舞など、その全人格を無条件に、ありのままに受け入れるということ。
 
2 共感的理解・・・相手の「いま、ここ」にある私的な内面世界を、「as if(あたかも自分の事の様に)」感じ取ること。そしてその「as if」という態度をどこまでも失わないということ。
 
3 自己一致・・・驚く時は驚き、喜ぶ時は喜び、悲しむ時は悲しむ、というように、自身の内的感情と外的表現のとの間に不一致がないこと。

 

けど、他人の悩みなんかをずっと聞いていると、どうしてもアドバイスしたくなることもあるでしょう。あるいは、どうしても同意できずにこちらのほうがだんだんイライラしてくることもあるでしょう。
 
「無条件受容」や「共感的理解」の観点からいえば、そういった内心は表に出すべきではないんですが、そうするとこれは「自己一致」に反する気がする・・・そういう疑問も湧いてきたりする。
 
こういうジレンマに陥ってしまうのは、我々が他人の話を、本書でいうところの「想像的次元」あるいは「意味」の水準で聴いているからであって、「象徴的次元」あるいは「シニフィアン」の水準で聴く限りは、無条件受容、共感的理解、自己一致が崩れることは理論上ありえません。
 
「想像的次元」において話し手と聞き手は「食うか食われるか」という愛憎入り混じる「双数関係」に立ちますので、ラカンが「理解しようとするな」と戒めるのはむしろ当然のことです。本当に理解すべきは話し手の「意識」ではなく「無意識」ということなんだと思います。
 
そのイライラは転移では?
 
ルフレッド・アドラーが説くところによれば「人生の悩みというのは畢竟、対人関係の悩みである」そうです。全部が全部そうかといえば異論もあるところですけど、対人関係というのは日々の暮らしの中でかなりのウェイトを占めているのは疑いないものです。
 
なので、アドラーは「劣等コンプレックス」に陥りがちな「縦の関係」という対人認知から脱却し、あらゆる対人認知を「横の関係」で捉える「共同体感覚」へのライフスタイル転換を推奨するわけです。
 
けれども実際問題、日々の対人関係において割と簡単に「縦の関係」に引きずられてしまうことも多いでしょう。誰かから理不尽な怒りを加減も無くぶつけられることもありますし、逆にこちらが誰かに対してどういうわけか無性にイライラしてしてしまうこともありますから。
 
この点、転移という概念はこういう対人関係における感情の揺れを結構キレイに説明できちゃったりするんですよね。
 
過去の何かを思い出させる分析家のある特徴に分析主体が出会ったとき、何が生じるのだろうか。たとえば分析家が眼鏡をかけることがときどきあって、分析家と分析主体がほぼ同年齢で、その眼鏡が分析主体の眼鏡に似ているとしよう。母親への分析主体の感情がいつも陽性であるなら、分析主体は分析家にそうした陽性感情を写して、セッションで分析家と協力して作業する期待できるだろう。逆に、母親への分析主体の感情が常に陰性であるなら、彼は分析家に陰性感情を移してセッションでは分析家に敵対するだろう(169頁)。
 
こういった過去の感情反復というのは分析治療の場に限らず、日常的な対人関係の間にも生じるとされています。こういう風な視点で、理不尽だったり不愉快だったりする出来事も受容的に捉えることができれば、簡単に「縦の関係」に陥らずにすむかもしれませんね。
 
精神分析技法の基礎 ラカン派臨床の実際

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