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かぐらかのん。

日々のくらしのメモ帳です\(^o^)/

ドラマ版「嫌われる勇気」がアドラー心理学会から明確に否定された件

こころ 話題
 
  
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

抗議文は「放映の中止か、あるいは脚本の大幅な見直しをお願いしたいと思っております 」と結ばれており、まさにドラマ版主人公の庵堂蘭子の決め台詞である「明確に否定します」と言わんばかりです。
 
この抗議は極めて正当だと思います。ドラマ版はキャストの誰某の演技が大根だとか、事件解決にアドラー心理学がまったく絡んでいないとか、巷ではそういうところでも辛辣に批判されているみたいですが、アドラー心理学という観点からの本質的な批判はもっと別のところにあります。
 
それは抗議文にあるように、現状、ドラマ版においては、アドラー心理学の生命線ともいえるべき概念である「共同体感覚」「勇気づけ」の視点が完全に欠落している点に他なりません。
 
アドラー心理学において、神経症や問題行動などは「劣等コンプレックス」という自分のパーソナリティ(ライフスタイル)を正当化する目的から行われるものであるという理解をとります(目的論)。そして、「劣等コンプレックス」は対人関係を「縦の関係」すなわち支配、評価の関係として捉えることから生じていると考える(全ての悩みは対人関係の悩みである)。
 
そこで、アドラーは対人関係を「縦の関係」ではなく、尊敬、感謝の関係である「横の関係」で捉えるライフスタイルを提唱します。これが「共同体感覚」です。
 
アドラー心理学の目標はこの「共同体感覚」の涵養であり、そのための実践として、まず、自他の課題を分離した上で、自他を勇気付ける営みが推奨されています
 
まずは自分を勇気付ける。そして他者を勇気付ける。勇気づけとは、基本言葉は「ありがとう」「嬉しいです」「助かりました」とあるように端的に言えば「尊敬、感謝の表明」です。「共同体感覚」とはこうした「横の関係」の実践の積み重ねに他なりません。
 
思うに、ドラマ版には今まで見た限りでは、「課題の分離」のうち「他者の課題に踏み込まない」という面ばかりが強調され「他者を勇気付ける」という視点が欠如しているように思うんですね。
 
はっきり言えば「他者の課題に踏み込まない」だけでは自分の殻に閉じこもっている人と何ら変わらないです。アドラー心理学の理論と実践の上でこれは片手落ちの話ではないんですよ。アドラーの普及団体としてはこういうものがアドラー心理学だと誤解されては困りますし、苦情の一つも言いたくなるところなのは当然だと思います。
 
こちらの方で詳しく書いてみました↓