かぐらかのん

日々のくらしのメモ帳です\(^o^)/

「君の名は。」と「シン・ゴジラ」

今更ですが、ついにスルーし切れず、「君の名は。」を観に行ってきました(´-ω-`;)ゞ

 

どこにでもありそうな何気ない日常の営みを繊細で瑞々しく切り出していく極彩色の映像美術。徹底されたというシナリオ開発の賜物か程よく濾過されて、いわば一番綺麗な上澄みだけが上手に掬い出されたナルシシズムフェティシズム

 

最後は、『秒速5センチメートル』の呪縛を振り切ったような、見事な終わり方で、清々しい余韻が残りました。

 

中盤に物語のクロスオーバー的な論理構造が明らかになった時は衝撃でしたが、よく考えればこれって新海さんの伝統芸とも言える「すれ違い」の発展系なんですよね。

 

クライマックスも、巨大災厄と少年少女の「絆」とか「想い」が直結しているかのような展開になっており、これまた新海さんの代名詞というべき「セカイ系」構造そのものです。

 

そういう意味でも、この作品が歴代の新海作品の一つの到達点であることは間違いないでしょう。けど同時に、ここまで多くの幅広い共感を集めたのは、もう少し外在的な要因があるのではないかと、少し思いました。

 

要は、この現象はいわゆる「シン・ゴジラ的なもの」に対する反動ではないのか、と。

 

シンゴジラ」も「君の名は。」も強大な災厄への対処が作品の主題であることは共通しています。けど、そのアプローチの仕方が両極端なんですよ。

 

シン・ゴジラ」の基本構造は「理想のプロジェクトX」であって、まさにセカイ系と対極なんですよね。作っている人が、セカイ系の起源であるエヴァを生み出した文字通り本人、と言うのが歴史の皮肉ともいうべきですが。

 

ともかくも、シン・ゴジラが描く「象徴的なもの」を賛美する言説が巷を席巻することで「え、でも絆とか想いってそんなに軽いものなの」っていう「想像的なもの」に対する反動形成な渇望を生み出した。

 

そういうマーケット構造と、かつてオタク的なものとして嘲笑されもしたセカイ系が奇跡的な邂逅を果たしたのが「君の名は。」という現象。そんな風な印象があります。

 

なんだか色々とひねくれた視点の感想になってしまいましたが、もちろん作品自体の完成度が素晴らしいことはいうまでもありません。蛇足ですが、三葉ちゃんはこれまでの新海作品のヒロインの中で一番可愛い、これは間違いないでしょう。何はともあれ、可愛いは正義ですよね\(^o^)/

 

 

 

シン・ゴジラ音楽集

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