かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「腸内フローラ10の真実」を読む。「お腹の調子を整える」だけではない。腸内フローラに秘められた可能性。

 
腸内フローラ(腸内細菌叢)というのは腸内における善玉菌、悪玉菌、日和見菌の棲み分けのことをいいます。
 
彼らはバラバラに住んでいるわけではなく、種類ごとにグループを形成して暮らしています。その様はまるでお花畑のように生態系を形成しているため、このように呼ばれるようになりました。
 
平均的な人の体内には数にして100種類100兆匹以上、重量にして1㎏以上といわれる腸内細菌が存在する。もはや我々の体内には別の生き物が棲み着いていると言っても過言ではないでしょう。
 
離乳期の頃、その人オリジナルの腸内フローラが確立し、腸内細菌の種類はほぼ一生変わらないとされています。ただ、その比率だけは後天的な食生活習慣で変えていくことができるわけです。
 
善玉菌、悪玉菌、日和見菌の適正比率は、2:1:7だという理解が一般的です。いわゆる「整調作用」とは、これら3つの細菌のバランスが正常に保たれることを意味しています。
 
腸内フローラの改善は単に「お腹の調子を整える」だけにとどまりません。風邪やインフルエンザといった身近なところから、がん、動脈硬化、糖尿病などの生活習慣病、さらには、不眠、うつ病自閉症などにも深く関わっていると言われており、腸内フローラを無視したヘルスケアなんてものはあり得ないレベルでしょう。
 
そういうわけで本書は腸内フローラに関する最新論点、研究の最前線をわかりやすく紹介した一冊になります。
 
「やせる!若返る!病気を防ぐ!」という胡散臭いサブタイトルに反して、内容はさすがNHKというべき綿密な取材に基づいた確かなものとなっています。
 
文体は大変に平易で読みやすく、読者がいかにも疑問に思いそうな部分はきちんとフォローがなされており、論点間のクロスリファレンスも丁寧です。腸内フローラの奥深い世界への一歩進んだ深い理解が得られることは間違いないでしょう。
 
ただ、腸内フローラの基本から体系的に紹介されているわけではなく「ビフィズス菌・乳酸菌の違い」「プロバイオティクス・プレバイオティクス・バイオジェニックスの違い」といった基本的事項を一通り押さえていることが前提となっています。また、明日から何をどうすれば腸内フローラが改善されるか、といった日常的実践についても言及は薄く、ヘルスケア的関心から本書を読むとアテが外れるかもしれません。
 
 
 
 

同感するということ、共感するということ

コミュニケーションにおける一つの技法として、よく「同感するのではなく共感することが大事です」などと言われますが、この二つは一体どう違うのでしょうか?
 
一般的な辞書的意味において、「同感」とは「同じように考えること、同じように感ずること」を言い、他方「共感」とは「他人の体験する感情を自分のもののように感じとること」を言います。
 
こう言われてもあまり違いというものがよく見えてきませんね。そこで、次のように理解するのはいかがでしょうか?
 
まず、「同感」というのは、つまり「似た者同士」がお互いに「毛繕い」をするような想像的な関係をいいます。
 
「わかるわかる、実は私もそうなの」っていうやつです。準拠枠はあくまで「自分」です。
 
なので、似た者同士でなくなったら、その「違い」はたとえ僅かでも「反感」を生み出す条件となるわけです。
 
これに対して、「共感」とは、相手のこころを映し出す「スクリーン」になること、あるいはなろうとする象徴的な関係をいいます。
 
具体的には相手の話を「テクスト」として読み解き、「あなたはこういう風に感じているのね」と、「解釈」して返す役割に徹する。準拠枠はあくまで「相手」です。
 
なので、共感は「似た者同士」でなくてもできるということです。友達の出世とか結婚などといった「他人のしあわせ」にも共感はできるわけです(実践はなかなか難しいですが)。
 
なお「解釈」が適切かどうかは、「本当に正しいかどうか」ではなく、コミュニーケーションをより展開させる上で「生産的かどうか」という観点で決まってきます。
 
従って、あえて相手の意表をつく「解釈」もありでしょうし、相手の欠点を美点に変換する「リフレクション」もこの文脈の中にあるでしょう。
 
要するに「スクリーン」になるということは、相手の中に「この人はわかってくれている、少なくともわかろうとしてくれている」という信頼に満ちた感情を生み出すということです。
 
精神分析的に言えば「知を想定した主体」の出現による「陽性転移の発生」が起きるということです。
 
一応、「同感」と「共感」はそういう風に区別できます。けど別に「同感する」のが悪いわけではないんですよ。
 
「共感」より「同感」した方が、より一体的な信頼感が出る場合もあるだろうし、適度な「自己開示」はコミュニーケーションのスパイスとして作用するでしょう。
 
ただ「同感」が自分でも気がつかないうちに「反感」に変わることを予防する意味でも、自分が「いま、ここ」で想像的軸上にいるのか、それとも象徴的軸上にいるのか、という問題について自覚的になっておくのは、それなりに大事なことだと、そう思うわけです。
 

経口補水液ってどうなの?

 

今日は二十四節気の「大暑」ですので「水」に関するおはなし。
 
最近、熱中症対策アイテムとしてよく店頭で見かける経口補水液ですが、常飲していれば熱中症予防になるのか?というと、結論から言えばならないんですよ。
 
経口補水液というのは、通常のスポーツドリンクよりも浸透圧が低めで、かつナトリウムイオンなどの電解質濃度が高く設定されてます。
 
これは水分や電解質が不足している脱水症状時においては速やか水分と塩分の補給に威力を発揮します。けど普段、水分補給として常飲するのは不適切。ただの塩分の摂り過ぎということになります。
 
普段の水分補給は普通の水か、ハイポトニック系飲料が適切でしょう。この点、ポカリやアクエリアスなどの「スポーツドリンク」は浸透圧が体液とほぼ同値のアイソトニック系飲料に分類されます。これに対して、ハイポトニック系飲料というのは浸透圧が体液より適度に低く、より水分補給に特化しています。
 
例えばポカリはポカリでも「ポカリスエットイオンウォーター」なんかはハイポトニック系飲料になります
 
 
 
 
けど、お酒をたくさん飲んだときは経口補水液がオススメみたい。
 
飲酒した後は脱水状態になりやすいんです。ただでさえ飲酒は利尿作用を促進します。さらにその上、肝臓でアルコールを分解する為に、大量の水分を必要とします。そして、水分が失われる時、電解質も同時に失われます。
 
なので飲んだ当日の寝る前や起床時に、脱水気味だと感じた場合などは、水分と電解質を素早く補給できる経口補水液の摂取は適切な選択とのこと。
 
実際、お酒を飲んだ後や翌朝に試しに経口補水液を飲んでみると大概、美味しく感じるんですよ。これは要するに体内から水分と電解質が失われているからなんでしょう。
 
けどこの時もがぶ飲みするんじゃなくて、少しずつ飲むのがいいようです。塩っぱいと感じたら電解質が足りてきているので、後は普通の水か、ハイポトニック系飲料での水分補給に切り替えた方が無難なようです。
 

冷製パスタの簡単レシピメモ

f:id:kagurakanon:20170718232709j:image
 
 
レジスタントスターチ」というのをご存知でしょうか?
 
レジスタント」=「消化されない」、「スターチ」=「でんぷん」で「難消化性でんぷん」のこと。
 
ご飯や麺類のでんぷんが冷えると一部がこのレジスタントスターチというものに変化します。
 
これは食物繊維の一種で不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持っています。
 
多糖類であるでんぷんは通常、小腸で単糖類のブドウ糖に分解されて吸収され、血糖値を上昇させますが、レジスタントスターチは酵素分解されにくく、血糖値の上昇を抑制します。
 
そして消化されずに大腸までたどり着いたレジスタントスターチは善玉菌のエサとなり腸内フローラ安定に役立つとのこと。なんだかいいことづくめですね。
 
そういうわけで、最近は冷製パスタの味付けを研究中。めんつゆ、ポン酢、マジックソルトなど、色々と試行錯誤しています。
 
参考までに、柚子胡椒冷製パスタの簡単レシピメモです。
 
 
材料
 
・パスタ・・・100g
 
・☆オリーブオイル・・・大さじ1
 
・☆お酢・・・大さじ1
 
・☆昆布だしの素・・・小さじ1
 
・☆柚子胡椒・・・小さじ1〜2
 
・ツナ水煮缶・・・0.5缶
 
ミニトマト・・・4個くらい
 
・オクラや大葉などをお好みで。
 
作り方
 
①お湯を沸かし、塩を適量入れて、パスタを茹でる。塩は1Lの水につき10gが目安。
 
②その間にトマトや野菜を切る。
 
③パスタをザルか何かに引き上げる。水気は切りすぎない。
 
④☆とトマトとツナと野菜を混ぜ合わせて冷蔵庫で冷やして出来上がり\(^o^)/
 
 

エロマンガ先生最終話における「芸術の論理」と「去勢の論理」

 
エロマンガ先生の最終話において、沙霧ちゃんの書いたエロマンガの局部描写にはモザイクがかけられており、ムラマサ先輩の書いたミケランジェロダビデ象は無規制であったという問題です。
 
結論からいえばこれは社会常識的に妥当な処理でしょう。しかしながら何故これを大多数の人がこのような処理を「妥当」だと感じてしまうのか?というその理由を色々と考察するのはそれなりに面白いものがあります。
 
まず、上記リンクが言及しているように、ミケランジェロダビデ象は「芸術作品」であり、沙霧ちゃんのエロマンガはただの「ポルノ」だからという理由。
 
これを仮に「芸術の論理」と名付けます。そして上記リンクはそのような区別は「芸術カースト」だと批判しています。
 
論理としては大変明快です。ただ、ここでの規制基準は「芸術の論理」ではないんだと思うんですよ。どうしてもそれだけでは回収しきれない要素があるからです。
 
沙霧ちゃんのエロマンガミケランジェロダビデ象の間には、あるシークエンスが何気に挿入されていますよね?
 
めぐみが弟(幼児)をモデルにして描いた裸体図です。
 
めぐみの絵にはモザイクがかかっていない。いや、もちろん局部はマサムネの頭の位置でごく自然に見えないんですが、モザイクという「処理」で「露骨に隠されていない」という点が沙霧のそれと異なっています。
 
そして何より、めぐみの絵は主観的には20歳の成人男性を描いていることになっています。
 
ここに、割礼を得ていない=去勢されていない成人男性という点でダビデ像との間に共通項が得られるわけです。
 
以上のような対置構造から、沙霧ちゃんのエロマンガの規制理由が反射的に浮かび上がってきます。
 
お分かりでしょうか?結論から言えば、この区別は「去勢の論理」によるということです。
 
ここでいう「去勢」とは精神分析的意味での去勢であり、ジャック=ラカンの定義で言えば「現実的父を動作主とする想像的対象の象徴的負債」のことを言います。
 
なかなか難解な定義ですが、要するに子供が母親(養育者)と近親相姦的に欲望し合う関係を父親(第三者)によって禁止されている状態を言い表しています。
 
ここで子供→沙霧ちゃん(=製作者)、母親→視聴者、父親→社会倫理と置き換えてみます。すると、どうなるか?
 
まず沙霧ちゃんはエロマンガ(の局部描写)を見せて、視聴者を欲望させたいわけですが、視聴者の欲望は社会倫理に統制されており、沙霧ちゃんが視聴者を欲望させようとすれば、必然的に社会倫理との間で緊張感を孕むことになります。
 
結果、沙霧ちゃんは、原作や円盤の売り上げとかアニメの2期などといった生存戦略(現実的父)の必要上、自らのエロマンガ(想像的対象)にモザイク処理(象徴的負債)を施し、視聴者を欲望させることを断念せざるを得ないという関係が成立します。
 
去勢の論理というのは突き詰めて言えば父親(=社会倫理)による享楽の独占であり、もっと言えば「お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」というジャイアニズムに他ならないのですが、これは表現規制をはじめ、社会のあらゆる至る所にわりと潜んでおり、それが「公共の福祉」などといった、もっともらしい言葉を伴って巧みな形で現前しているわけです。
 
エロマンガ先生の最終話は、この表現規制に内在する「去勢の論理」という問題を端的な構図で見事に暴き出しており、そういう意味では高く評価されるべきであると思います。
 
 
【追記】
 
 
ご指摘の通り、最初の文章が言葉足らずでした。意図としては、モザイクという処理の有無で切り分けたつもりだったんですが・・・投稿した次の日、論旨が不明確なことに気づいて本文を訂正しました。お返事が遅れて失礼しました。ブクマ&コメントありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ
 
 
 
 

「引きこもり」とラカン的〈他者〉の欲望--引きこもりはなぜ「治る」のか?(斎藤環)

 

 

 

本書は引きこもりの臨床という極めて限定した領域を扱った本と見せかけて、普通の対人関係においても活用できることが多く書かれており、実用書的な価値も高いです。
 
また具体的な臨床実践を通じた精神分析理論のガイダンス本としても読めるので、精神分析って興味あるけどなんか敷居が高そうだし・・・と思っている人にもオススメです。
 

欲望とは〈他者〉の欲望である

 
フランスの精神分析家、ジャック=ラカンは「欲望とは〈他者〉の欲望である」と言います。つまり、人の欲望というのは自然発生的に湧いてくるわけではなく、「他人からもらうもの」だということです。
 
例えば、なぜ皆がiPhoneの最新機種を欲しいと思うのかというと、それを皆が欲しがっているからであり、なぜ誰も路傍に打ち捨てられたゴミを欲しいと思わないのかというと、それを誰も欲しがっていないからでしょう。要するにそれを他の誰かが欲しがっているから自分もほしいと思う、ということです。
 
 
難解奇怪な理論でおなじみのラカンですが、その治療方針は普通にシンプルでして、ひとまず目指すのはクライエントの「欲望の活性化(弁証法化)」にあります。
 
ラカン的な見方で言うと、引きこもりとは本人の「〜がしたい」という欲望が停滞・固着している状態に他なりません。
 
なので、引きこもりの場合、本人に欲望を持ってほしいのであれば、家族が率先して〈他者〉として欲望を表明することが大事になってくるわけです。
 
 
ただ実際にね、このあたりの機微はけっこう難しいとは思うんですよ。けど例えば、先日、最終回を迎えた「エロマンガ先生」というアニメでは、ラノベ作家である主人公が、相棒のイラストレーターでもある引きこもりの義妹に対して「学校に行った方がいい」などという常識的な事は決して口にしない代わりに「俺の夢は妹と一緒に世界一の妹ラノベを作り、そのアニメを一緒に妹と居間で見ることだ」という常人からすれば斜め上の「〈他者〉の欲望」を宣言しちゃったりしてるんですけど、これはある意味、まさに典型的なラカン的事例ともいえるでしょう。
 

 

 

 

「共感力」と精神分析理論

 
あとね、多分、精神分析理論というのは精神科医やカウンセラー、哲学者、批評家といった一部の専門家ものではないと思うんですよ。
 
プライベートな人間関係はもちろん、教育、福祉、営業といったあらゆる領域において「共感力」が重視される昨今です。そこに精神分析理論を参照することで、相手の一見不可解な言動の中にもある種の「物語」を見出すことが可能となりますから、そういった共感のキャパシティって確実に深く広がると、そう思うんですよね。
 

水溶性食物繊維をとりましょう♪

f:id:kagurakanon:20170528205137j:plain

 

腸内フローラの適正化においては乳酸菌の摂取だけではなく食物繊維の摂取も重要なカギとなります。
 
ところで食物繊維は不溶性と水溶性に分かれているのはご存知でしょうか?それぞれ役割が違うんです。
 
ざっとまとめると不溶性食物繊維の特徴はこんな感じ。
 
・胃や腸で水分吸収して大きく膨らみ、腸を刺激して蠕動運動を活性化。便通を促進。
 
ダイオキシンなどの有害物質を搦め捕り体外へ排出。大腸がんの予防効果が期待。
 
・よく噛んで食べるので、満腹中枢が刺激され食べすぎを防止。
 
これに対して水溶性食物繊維の特徴はこんな感じ。
 
・糖質の吸収をゆるやかにして食後血糖値の急激な上昇を抑える。
 
・胆汁酸やコレステロールを吸着して、体外に排出。
 
・腸内の常在善玉菌のエサになる。
 
不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の理想的なバランスは2:1なんですが、水溶性食物繊維が豊富な食材は意外と限られてるので意識して摂ることが必要。
 
そういうコンセプトから最近は水溶性食物繊維を意識した「腸活サラダ」の開発?に取り組んでます。
 
ワカメとキャベツはネバシャキな食感が意外と癖になります。マヨネーズともよく合う。
 
水溶性食物繊維が豊富かつサラダとも相性がいい食材は、わかめ、オクラ、アボガド、なめこ、じゃがいも、ひじき、乾燥プルーンあたりでしょうね。是非一品でもいいので毎日サラダに添えたいところです。