かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

「引きこもり」とラカン的〈他者〉の欲望--引きこもりはなぜ「治る」のか?(斎藤環)

 

 

 

本書は引きこもりの臨床という極めて限定した領域を扱った本と見せかけて、普通の対人関係においても活用できることが多く書かれており、実用書的な価値も高いです。
 
また具体的な臨床実践を通じた精神分析理論のガイダンス本としても読めるので、精神分析って興味あるけどなんか敷居が高そうだし・・・と思っている人にもオススメです。
 

欲望とは〈他者〉の欲望である

 
フランスの精神分析家、ジャック=ラカンは「欲望とは〈他者〉の欲望である」と言います。つまり、人の欲望というのは自然発生的に湧いてくるわけではなく、「他人からもらうもの」だということです。
 
例えば、なぜ皆がiPhoneの最新機種を欲しいと思うのかというと、それを皆が欲しがっているからであり、なぜ誰も路傍に打ち捨てられたゴミを欲しいと思わないのかというと、それを誰も欲しがっていないからでしょう。要するにそれを他の誰かが欲しがっているから自分もほしいと思う、ということです。
 
 
難解奇怪な理論でおなじみのラカンですが、その治療方針は普通にシンプルでして、ひとまず目指すのはクライエントの「欲望の活性化(弁証法化)」にあります。
 
ラカン的な見方で言うと、引きこもりとは本人の「〜がしたい」という欲望が停滞・固着している状態に他なりません。
 
なので、引きこもりの場合、本人に欲望を持ってほしいのであれば、家族が率先して〈他者〉として欲望を表明することが大事になってくるわけです。
 
 
ただ実際にね、このあたりの機微はけっこう難しいとは思うんですよ。けど例えば、先日、最終回を迎えた「エロマンガ先生」というアニメでは、ラノベ作家である主人公が、相棒のイラストレーターでもある引きこもりの義妹に対して「学校に行った方がいい」などという常識的な事は決して口にしない代わりに「俺の夢は妹と一緒に世界一の妹ラノベを作り、そのアニメを一緒に妹と居間で見ることだ」という常人からすれば斜め上の「〈他者〉の欲望」を宣言しちゃったりしてるんですけど、これはある意味、まさに典型的なラカン的事例ともいえるでしょう。
 

 

 

 

「共感力」と精神分析理論

 
あとね、多分、精神分析理論というのは精神科医やカウンセラー、哲学者、批評家といった一部の専門家ものではないと思うんですよ。
 
プライベートな人間関係はもちろん、教育、福祉、営業といったあらゆる領域において「共感力」が重視される昨今です。そこに精神分析理論を参照することで、相手の一見不可解な言動の中にもある種の「物語」を見出すことが可能となりますから、そういった共感のキャパシティって確実に深く広がると、そう思うんですよね。
 

水溶性食物繊維をとりましょう♪

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腸内フローラの適正化においては乳酸菌の摂取だけではなく食物繊維の摂取も重要なカギとなります。
 
ところで食物繊維は不溶性と水溶性に分かれているのはご存知でしょうか?それぞれ役割が違うんです。
 
ざっとまとめると不溶性食物繊維の特徴はこんな感じ。
 
・胃や腸で水分吸収して大きく膨らみ、腸を刺激して蠕動運動を活性化。便通を促進。
 
ダイオキシンなどの有害物質を搦め捕り体外へ排出。大腸がんの予防効果が期待。
 
・よく噛んで食べるので、満腹中枢が刺激され食べすぎを防止。
 
これに対して水溶性食物繊維の特徴はこんな感じ。
 
・糖質の吸収をゆるやかにして食後血糖値の急激な上昇を抑える。
 
・胆汁酸やコレステロールを吸着して、体外に排出。
 
・腸内の常在善玉菌のエサになる。
 
不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の理想的なバランスは2:1なんですが、水溶性食物繊維が豊富な食材は意外と限られてるので意識して摂ることが必要。
 
そういうコンセプトから最近は水溶性食物繊維を意識した「腸活サラダ」の開発?に取り組んでます。
 
ワカメとキャベツはネバシャキな食感が意外と癖になります。マヨネーズともよく合う。
 
水溶性食物繊維が豊富かつサラダとも相性がいい食材は、わかめ、オクラ、アボガド、なめこ、じゃがいも、ひじき、乾燥プルーンあたりでしょうね。是非一品でもいいので毎日サラダに添えたいところです。
 
 

「個人心理学講義(アルフレッド・アドラー)」を読む。優越性の追求から劣等コンプレックスへ至る導線。

 
本書は成立における諸般の事情も相まって「読みにくい」とか「体系だっていない」という評価もありますが、それはその通りだと思います。
 
また『嫌われる勇気』で大きくクローズアップされている、勇気づけ、課題の分離などについてはあまり立ち入った考察はされていないです。 よってアドラー理論を生活の中でいますぐ役立てたいという人向きではないと思います。
 
ただ、アドラー理論の中核である、優越性の追求からライフスタイルの形成、劣等コンプレックスに至るまでの論証はとても詳細でわかりやすい。
 
フロイト精神分析によれば、人の根本衝動はおなじみ「性欲」とされますが、アドラーはこれを否定して、人の根本衝動を「いまよりより良くなろう」とする「優越性の追求」であるとする。
 
つまり、人はあくなき優越性を追求する生き物であり、逆に言えば現状に常に満足していない。これを称して「劣等感」という。劣等感は否定されるべき感情ではなく、より良くなろうとする優越性の追求と裏表の関係(相補的関係)にあります。
 
そして優越性の追求(劣等感)の結果、形成された個人的な信念や世界観をライフスタイルと呼び、何らかの挫折経験でライフスタイルを拗らせてしまった状態が「~だから俺はダメなんだ」という劣等コンプレックスと呼ばれるものということになります(そういう意味で劣等コンプレックスというものは精神分析でいうエディプスコンプレックスとは位相を異にするものであり、どちらが根本的なコンプレックスかという二者択一的な議論はやや的外れのように思えます)。
 
やや話が逸れましたが、こういったアドラー心理学の根本を為すともいえるロジックが本書において実に詳細に展開されている。アドラー自身が本書の結語で述べている通り、個人心理学の方法論は劣等感の問題に始まり、劣等感の問題に終わるということがよく理解できる。本書でアドラーに入門するのはお勧めできないですが、参考書としては必読ともいえるでしょう。

「傾聴」と「勇気づけ」

アドラー心理学の説く「勇気付け」と傾聴技法というのはかなりの部分、クロスオーバーする領域だと思うんですよ。

勇気付けというのは定義的には「横の関係による援助」です。アドラーの対人関係論から言えば、評価、操作の関係である「縦の関係」は劣等コンプレックスを肥大化させ、信頼、尊敬の関係である「横の関係」は共同体感覚を練成する、という風に定式化できる。例の、「叱ってはいけない、褒めてもいけない」などと言われますが、この横の関係さえ出来ていれば、「叱責の言葉」や「褒め言葉」も、場合によっては「勇気付け」となりえるでしょう。

 

「叱ってはいけない、褒めてもいけない」というキャッチコピーの功罪: かぐらかのん

 

そして、人の話を「きちんと」聴くということは、単なる情報受信や意思疎通を超えた、その人の内的世界観の共有を意味します。よって、傾聴というのは勇気付けのベースとなる「横の関係」を生成する上での重要な要素というべきでしょう。

もちろん、「きちんと」聴くというのはただ人の話を何となく聴いてればいいわけじゃないです。聴き手の「聴いてます!理解しました(^o^)ノ」っていうメッセージがはっきり話し手に伝わらないと意味ないんですよね。

傾聴技法というのは、この「聴いてます!理解しました(^o^)ノ」ってメッセージを強烈に伝達する手段のようなものでして、基本的な①相槌、②反復、③反射の三つだけでも意識できれば、コミュニケーションの質はだいぶ違ってくるのではないでしょうか。

①相槌(Simple Acceptance)

相槌って、日常会話では案外適当なんですけど、「最小限の激励」とも言われ、話し手にその先をおっしゃってくださいというメッセージを伝えることができるので、きちんとした相槌は勇気付けとして作用します。

相槌の基本3言葉は「はい」「ええ」「うん」。プロカウンセラーはこの3つの相槌を徹底的に練習すると言われます。因みに、「うん」というニュアンスは、子供がお母さんに「うん!」と叫ぶ「うん!」じゃなくて、優しく「うんうん」と頷く「うん」ですね。

②反復(Restatement)

もっとも、単に、ええ、ええと延々と相槌を打つばかりでは話し手としては「本当に聴いているの?」と感じるでしょうから、時には、相手の言った印象的なキーワードを反復してみたりする。

反復においては基本的に話し手となるべく同じ言葉を使うのがセオリーなんですけど、例外的に、話し手が自己否定的なマイナス言葉を発した時は、聴き手はそれを積極的にプラス言葉に言い換えることを心がけるべきでしょう。

例えば、話し手が「断れない性格なんですよ」と言えば「そうか、あなたは優しいんですね」などと返すように。その積み重ねはいわゆるリフレーミング効果を生み出し、話し手の否定的な自己認知が徐々に肯定的な自己認知へと変容していくことが期待されると言われます。

③反射(Reflection)

そしてまた、ある時には「それは辛かったでしょう」「苦しかったんですよね」「だけど、嬉しかったんですよね」などといった、話し手の言葉の裏側にある喜怒哀楽の感情面に焦点を当てた応答を心がけてみる。まさにこれはアドラーのいう「大切なことは共感すること。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることだ」ということです。

こんな風に、その一つ一つはバカバカしいくらい、本当に小さな小さな積み重ねなのかもしれませんけどね。ただね、何者でもない凡人たる我々が日常的なコミュニケーションという想像的軸上で勇気付けを実践したいのであれば、こういった日々の営為こそが、「トラウマは存在しない\(^o^)/」とか「課題を分離しろ\(^o^)/」などといった、聞き齧りのアドラーの理論をもっともらしく「アドバイス」してあげるよりも、長い目で見れば、よっぽど横の関係の生成に寄与するものではないかと思うわけです。

「アドラー流一瞬で心をひらく聴き方(岩井俊憲)」を読む。傾聴×勇気付けという組み合わせ。

 
アドラー理論と傾聴技法を架橋しようという試みが感じられる1冊。 前半4分の1位がアドラー理論の簡単な紹介であとは傾聴技法の解説。
 
要点の箇条書きスタイルなので、あっという間に読めます。
 
一般的な傾聴技法の他に、アドラー心理学独自の「勇気づけ」や「課題の分離」という視点を取り入れています。 ビジネスシーンでアドラー理論を活用したい向けの実用書という感じなので、心理療法の深淵を極めて悩める人の力になりたいという人は、どうせ知っているコトばかりでしょうから別に読まなくてもいいと思います。
 
アドラーの個人心理学の理論の深奥についてはこの本だけ読んでもわからないと思うので『嫌われる勇気』なり今度出る続刊の『幸せになる勇気』なり別途、読まれる方がよろしいんでしょう。
 
リフレクション中心のロジャーズ系の傾聴本を読んで物足りなさを感じている人には、得る物があるかもしれないですね。傾聴=ロジャーズの来談者中心療法(PCA)というのが一般的なイメージなんでしょうけど、PCAを本当に使いこなせるのはロジャーズ博士ご本人ただ一人といっても過言はないでしょう。
 
あれを我々凡人がそのまま金貨玉条的に真似してしまうと、ただの「オウム返しをするだけの人」になってしまいますからね。
 
要するに、聴き手の適度な自己開示は必要なんですよ。リフレクションで話し手の心の深度を下げたはいいが、さてここからどうするかといった局面で「勇気づけ」という技法はかなり強力な武器になるかと思うんですよね。

大根おろしの栄養学

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大根おろしは小さい頃の「にがい!」っていう記憶を引き摺っていて、それからずっと食わず嫌いだったんですけど、ポン酢と合わせてみたらすごい美味しいことに、今更気づきました。
 
焼き魚や豚しゃぶとすごく合うし、箸休めにもちょうどいいですし。大根いっぺんに好きになりました。
 
大根は生食がベスト?
 
実は大根は薬効を考えたら生で食べるのが一番だそうです。大根といえば消化酵素が豊富なのが知らていますが、これは加熱によって大幅に減少してしまうとのこと。
 
ちなみに大根に含まれる消化酵素はこんな感じ。大根おろしダイエットとかかつて流行りましたよね。
 
 
・ジアスターゼ(アミラーゼ)・・・唾液の中にも含まれているでんぷんを分解する消化酵素。ごはんや麺類などを食べた際の際の胃もたれや消化不良を改善。
 
・プロテアーゼ・・・・たんぱく質分解酵素。大根の他にはヨーグルトや納豆などの発酵食品にも多く含まれている。下処理として大根おろしやヨーグルトに肉をつけておくと肉が柔らかくなるのはプロテアーゼが肉のたんぱく質を分解しているため。
 
・リパーゼ・・・脂肪を分解してくれる酵素。天ぷらやから揚げなどと一緒に大根おろしを摂ると、さっぱりとたべることができて胸やけや胃もたれを軽減される。
 
 
また、甘い大根おろしを作りたい時は真ん中、辛い大根おろしを作りたい時は根っこ側、ともよく言われますが、これはイソチオシアネートという辛み味成分に関係あるようです。
 
イソチオシアネートには殺菌・抗菌作用の他にも、抗酸化作用、代謝作用がありますが、一説によればこれはもともと大根の防御システムとして備わったものだとか。
 
害虫が大根に噛みつくと、その部分にイソチオシアネートが生成される。害虫はこれを嫌がるので、結果、大根は害虫に丸かじりされないで済む・・・ということだそう。
 
なのでイソチオシアネートは大根の生長にとって重要な根の部分でより多く生成され、根の方をおろすと辛い、というわけです。
 
大根ドレッシング
 
シンプルに食べるのもいいですけど、もう少しアレンジしてドレッシングとして使ってみるのもいいですね。
 
基本ベースは醤油:酢:ごま油:砂糖が1:1:1:0.5の割合。これをお好みに合わせて調整していく感じ。ニンニクチューブとか加えてもいいかも。
 

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 とにかく大根まじやばい。というかむしろ大根育てたい。今年の冬は本気で育ててみようか。

 

 

 

「幸せになる勇気(岸見一郎・古賀史健)」を読む。運命の人などいないのか、という問題。

 
「結論から申し上げますと、アドラーの思想はペテンです。とんだペテンです。いや、それどころか、害悪をもたらす危険思想と言わざるをえません。(本文より)」
 
現実に打ちひしがれ3年ぶりに「哲人」の書斎を訪れる「青年」。物騒な雰囲気の中で幕が上がる劇薬の哲学問答第二幕です。 前作『嫌われる勇気』についてはいまさら云々するまでもないでしょう。
 
本書は前作の補完という位置付けなので、前作の方から先に読んでおくべきなのは言うまでもないです。逆に『嫌われる勇気』を読んだ後でアドラー心理学の関連本に色々と手を出した人が本書を読むと、知識的にはわりと知っていることばかりになってしまうので、哲学的(?)なインパクトは当然、前作ほどは無い、ということになります。
 
むしろ、それらにいちいち驚愕、憤激する「青年」の初々しさが微笑ましく見えるでしょう。 けど、既存知識もこういう対話の形で読むと別の発見があるのはもちろんです。前半で特筆すべきは問題行動における5段階目的論の詳細な解説。知っている人にとっても良い復習になります。
 
後半はライフタスク(人生の課題)への深い考察が展開されています。終盤の「愛のタスク」論に関しては、本書の中でも特に賛否が分かれるところでしょう。 「『運命の人』などいない」。そう平然と断じ去る「哲人」の「忌々しい洞察」には「青年」でなくとも素朴な反感を覚える人も多いと思います。
 
勿論、「運命の人」の存在なんて科学的に証明しようが無いですけどね。ですけど、この言葉はそういうあたりまえな、シニカルな意味合いでは無いことは前作における「哲人」の「人生に特に意味など無い」という言葉の意味と合わせて考えると自ずと理解できるでしょう。
 
アドラー心理学決定論を退けて主体論を打ち出していますから、「運命」など最初から決まっていない、自らの決断で選びとるものだと、そういうことなんだと思います。
 
ちょっと話が逸れましたが、とにかく既知のアドラー関連の類書の中で、「愛のタスク」についてここまで深く切り込んだ洞察は寡聞にして知りません。もっともこのあたりはアドラーよりもエーリッヒ・フロムからの引用の方が多く、わりと岸見先生の独自性が出ているのかもしれないですね。
 
最後は割と淡々とした終わり方でしたが、すっきりした読後感はありました。いちおう前向きな感じで終わってはますが、「青年」のあまりの拗らせぶりにとうとう「哲人」が愛想を尽かしたという穿った見方もできなくはないですね(笑)