かぐらかのん。

日々のくらしのメモ帳です\(^o^)/

四川風麻婆豆腐の決め手は「花椒」。

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麻婆豆腐といえば出来合いの「麻婆豆腐の素」でさっと作っちゃうのが普通なんでしょうけど、豆板醤や甜麺醤といった基礎調味料から作ると「味の構造」が把握できるので、自分好みに微調整できます。
 
いろいろ調べてながら作ったので、メモを残しておきます。
 
まずは軽く麻婆豆腐の歴史から。発祥は清朝末期で意外と歴史は浅いんですね。生みの親であるチャオチャオさんというのがあばたのある未亡人だったので「麻婆」と呼ばれたとのこと。
 
 
参考にしたレシピはこちら↓
 
 
にんにく、生姜はチューブの方がお手軽。それぞれ3センチくらい。唐辛子は輪切りだと小匙1くらい。豆板醤の比率はお好みで調整してみましょう。
 
オイスターソースを入れるのはどちらかというと広東風みたいですね。
本家本元・四川風は、甜麺醤(テンメンジャン)でコクと甘みを出し、花椒でしびれる辛さを効かせたパンチのある味。一方広東風は、辛みは豆板醤に任せて、オイスターソースとたまり醤油でコクと旨みを出した、ごはんや花巻に合う味です。
 
 
豆腐の水切りはいろいろ意見があるみたいですけど、私はする派ですね・・・水切りしておかないと後からどんどん水っぽくなってくるので。
 
水切りはしないでも1分湯通しした方が良いみたい。
豆腐を湯通しすると余分な水分が豆腐から抜けてくるだけでなく、豆腐の嫌な臭いも一緒に抜けてきます。臭いが抜けるのはお湯の浸透圧の影響で、真水と豆腐の中に入っていた水が入れ替わるからです。
 

麻婆豆腐に使う豆腐の水切りは必要?不要?

 
そして、本格的な四川風にするための決め手はやっぱり花椒(ホアジャオ)だと思います。よく花山椒と間違えられますが、花山椒というのは山椒の花の部位。山椒と花椒は別の植物なのです。
 
 
花椒も山椒も生物学の分類上は同じミカン科サンショウ属の落葉低木ですが、その種類と産地が異なりますので、同じ植物ではありません。
  • 花椒の木・・・ミカン科サンショウ属の華北山椒(カホクザンショウ)中国産地
  • 山椒の木・・・ミカン科サンショウ属の山椒(サンショウ)日本産地
 

花椒と山椒の違いについて | たべるご

 
花椒と山椒の違いを簡単に説明すると、中華料理と日本料理のどちらに使われるのか?という分け方が、一番わかりやすい区分です。
  • 花椒・・・中華料理(麻婆豆腐の味付け、唐揚げに添える花椒塩など)
  • 山椒・・・日本料理(うなぎの蒲焼にかける粉山椒、ちりめん山椒に入れる実山椒など)
花椒は果皮を乾燥させた香辛料として中華料理に、山椒は葉や実や果皮など様々な部位が薬味や飾りつけとして日本料理に利用されます。
 

花椒と山椒の違いについて | たべるご

 
花椒は麻婆豆腐以外に目立った使い道もないし、山椒で代用するのもアリですけど、山椒とはまた違うパンチの効いた個性的な辛味なので、本格的な味にしたいのであれば、花椒はぜひ入れてあげてください∩︎( ´∀︎`)∩︎
 
 

さくらフェス\(^o^)/

ameblo.jp

 

今日はエイプリルフールですが、そんなことよりも「カードキャプターさくら」の主人公・木之本さくらちゃんの誕生日ですね。 


さくらちゃんといえば「なんとかなるよ、絶対だいじょうぶ」の名言で知られていますけど、これ以上にシンプルで力強い響きもそうそうないですよね。本当に良い言葉だと思います。 


日々の暮らしで気が滅入った時に、自己承認のマジカルワードとして「なんとかなるよ、絶対だいじょうぶ」と、何気につぶやいてみる習慣というのもいいかもしれませんね。

向井雅明「考える足ー『脳の時代』の精神分析」を読んで。脳科学時代のアンチテーゼとしての精神分析理論。

 

考える足――「脳の時代」の精神分析

考える足――「脳の時代」の精神分析

 

 

メンタルヘルスの諸問題につき、何かにつけ「脳科学的には・・・」といえば、なんとなく納得してしまう昨今の風潮ではあります。
 
本書の言うところの「脳中心主義」とはすべてのこころの問題は脳の構造によって決定されているかの如き説明です。例えば、統合失調症の原因は中脳辺縁系におけるドパーミンの過剰分泌ないしグルタミン酸受容体の異常、うつ病セロトニンノルアドレナリンの不足、強迫神経症も遺伝子の問題である等々・・・けどそれは本当に果たしてそれだけなのでしょうか?これらの本書はこのような「脳中心主義」をラカン精神分析的観点から批判的に切り込んでいきます。
 
ラカン派の基本認識からいえばこの世界は3つの異なる位相が重なり合って構成されています。自然の一部としての現実界。言語によって構成される象徴界。感覚イメージから成る想像界。当然のことながら人のこころもこの世界の一部である以上、それぞれこの3つの位相に属している。フロイト第二局所論「自我・超自我・エス」の用語で言えば自我は想像界に、超自我象徴界に、エスは現実界に概ね帰属しているといえるでしょう(もちろん完全に対応しているわけではないですが)
 
この点、脳科学というのは神経科学の一分野であり、こころの問題を神経伝達物質の作用という「現実界」から捕捉するアプローチといえます。他方で(ラカン派の)精神分析はいわば「ことば」という「象徴界」の位置から対象 a という概念装置を通じて、「欲動」というやはり「現実界」を刺しとめて操作していくアプローチです。
 
そういう観点からいえば、「脳中心主義」の妥当性は兎も角としても、精神分析脳科学という領域自体は決して二項対立するわけではない。むしろ本書も述べているように両者のより活発なクロスオーバー、クロスリファレンスが期待されるところです。
 
昨今流行りのマインドフルネスが仏教思想をバックボーンに持ちつつも現代社会で急速に受け入れられている一つの理由として、脳科学的な洗練された説明が伴っている点があるように、現代において心理療法は「現実的なもの」を無視することは決してできないことは確かでしょう。
 
本書の著者、向井雅明氏はラカン精神分析の第一人者。同氏の手による「ラカン入門」はラカン理論の変遷を通時的に捉えた優れた教科書です。その文体はラカン派の中では極めてわかりやすく、ラカン派にありがちな独りよがりな「俺のラカン」になってない。むしろ「きちんと理解してもらおう」という著者の誠意すら感じます。これも理論と臨床に通じる著者の深い理解がなせる技なんでしょう。ラカン入門を補完する参考書としても最適な一冊。
 

花粉症対策にはβカロチン!レンチンで無限菜の花\(^o^)/

 

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旬の食材、菜の花。「ナノハナ」という特定の品種があるわけではなく、アブラナ科アブラナ属の食用の花の総称です。このカテゴリーはかなり広くて、セイヨウアブラナ(ナタネ)だけではなく、小松菜、水菜、青梗菜、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カブなんかもアブラナ科アブラナ属なんですね。あと大根はアブラナ科ダイコン属でダイコンの花は「白い菜の花」と呼ばれるとか。
 
ちなみにほうれん草は小松菜に似ているけどヒユ科ホウレンソウ属でのけものフレンズなのです(´;ω;`) 
 
話が逸れましたが、菜の花は開花のためのエネルギーを蓄えているので大変栄養価に優れています。β-カロテンはピーマンの5倍、ビタミンCはほうれん草の3倍以上、さらには腸内フローラ改善の鍵となる不溶性、水溶性食物繊維が豊富に含まれているのもうれしいです。
 
特にβカロチンは体内でビタミンAとして作用するので今の時期、花粉症対策にぜひ沢山摂りたいものです。βカロチンは脂溶性の栄養素なので油で和えるレシピがおすすめ。
 
そういうわけで、無限ピーマンのバリエーションを旬の食材、菜の花でレシピ化してみました。菜の花は茎が太いですがレンジでもいけます。レンチンすることでビタミンCを逃さないメリットがありますね。
 
用意するもの
 

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・菜の花・・・1パック
 
・ツナ缶・・・1缶
 
・ごま油・・・大匙0.5
 
・鶏がらスープ(味覇)・・・小匙1
 
・塩胡椒・・・適量
 
あとはお好みでゴマや鰹節など。
 
作り方
 
①菜の花を1㎝くらいにざく切り。ボウルに入れ、その上から調味料全てをのせます。塩胡椒は控えめに( `・ω・´)ノ
 
 

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②500Wレンジで2分。ちゃんと茎まで煮えます。あとは混ぜるだけ\(^o^)/
 

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アレンジ例として無限菜の花炒飯を作ってみました。今時珍しく旬以外はあまりお目にかからない食材なのでこの時期はできるだけ活用したいものですΣ(゚∀゚ノ)ノ
 

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藤田博史「人形愛の精神分析」〜深夜アニメのキャラはなぜ目が大きく鼻が小さいのか

 

人形愛の精神分析

人形愛の精神分析

 

 

人形を題材とした身体フェティシズム論というなかなか読み手を選ぶ一冊。表紙からしてフェティシズム感全開で実に素晴らしい。著者は精神分析家兼整形外科医。目、口、鼻、耳といった身体各部のパーツに対してラカン精神分析の観点からの考察が変幻自在に、まさに自由連想的に展開されていきます。
 
フェティシズムとは精神分析的に言えば倒錯の一形態です。人は正常な発達過程において去勢という母子分離を経ることで、言語を獲得し人間社会に参入するわけです。ラカンの分類法に従うのであれば神経症は去勢を経た人、精神病者は去勢を経ていない人をいいます。ところが、去勢という事実を知りつつも、これを否認するのが倒錯者です。そしてその一つの類型として、母親の代理物として身体の特定部位へ執着することがある。これがフェティシズムと呼ばれるものです。
 
例えば、この点、日本のいわゆる深夜アニメのキャラは目が大きく鼻が小さいという特徴がありますが、目は乳房であり、鼻は(象徴的な)ファルスを表しているとされますが、このようなキャラクター造形は明らかに去勢の否認という意味でフェティシズム的な表現といえるでしょう。
 
そういう意味で本書中盤に出てくるドラえもんの話は大変興味深いものがあります。「関節」とは「切断」されうる場所であり去勢を象徴する部位に他ならない。
 
然るに、ドラえもんの指のない丸い手は去勢された主体の象徴だともいえます。そう考えると、就学期前後におけるドラえもんとの出会いは日本における弱い父性原理を補完する意味合いをも帯びていると言えなくも無いということです。こういうな観点で、現代日本のサブカルチャーを考察してみるのもなかなか興味深いものがあります。
 
本書は講義の書き起こしなので一見口語体で読みやすいように見えますが、鏡像段階、父の名、疎外と分離、対象 a といったラカン精神分析テクニカルタームが当たり前のように使われているので基礎知識がないと厳しいかも。ただ数あるラカン本の中では読みやすい部類なのは確かなので、もし興味があれば、斉藤環先生の生き延びるためのラカンをざっと一読してからチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
 
 

ひなまつり\(^o^)/

桃の節句ということで「少女のエディプスコンプレックス」という精神分析においてけっこう厄介な論点と「3月のライオン」を絡めた考察を書きました↓

 

少女のエディプスコンプレックス〜あかりのケースと香子のケース: かぐらかのん

 

今回は考えることが多く難産でしたね・・・どちらかにでも興味ある方、あるいはお暇な方、宜しければ是非ご覧いただければ、嬉しいですΣ(゚∀゚ノ)ノ

 

なお、エディプスコンプレックスにはアドラーの劣等コンプレックスがよく対置されますが、個人的な見解としては、エディプスコンプレックスは言語機能とセクシュアリティのレベルで作用し、劣等コンプレックスはパーソナリティのレベルで作用するものだと思います。

 

エディプスコンプレックスと劣等コンプレックスの関係についてはこの辺りに書いてます↓

 

エディプスコンプレックスVS劣等コンプレックス(前編): かぐらかのん

 

エディプスコンプレックスVS劣等コンプレックス(後編): かぐらかのん

 

あと、あかりさんが色々とネコとか生き物を拾ってくるのは想像的水準でのPhallus所有願望の延長にあるように思えます。おそらく零くんも多分そういう文脈かと。

 

3月のライオン」は本当に好きな作品の一つだし、アニメも素晴らしい出来だと思います。今月公開の実写映画ももちろん期待なのです♪( ´▽`)

人見ルミ「心を整えるマインドフルネスCDブック」

 

心を整えるマインドフルネスCDブック

心を整えるマインドフルネスCDブック

 

 

集中力の向上、不安やイライラの解消、不眠対策など汎用的に使えるということで。前から興味あったマインドフルネスの本を読んでみました。この本は薄くて文章も平易であっさり読めて、しかもCDもついて値段1296円とお手ごろ。本書に書いてあることが全てではないとは思いますが、ざっくりイメージは掴めるでしょう。
 
ネットのヘルスケア記事なんか見てると、マインドフルネス=瞑想というイメージですが、マインドフルネスというのは特定の技法ではなく「穏やかでいながら注意深く集中している」という「心の状態」を言います。
 
本書を読んだ限り、おおきなポイントは二つあるようです。
 
まず、「いま、ここ」の瞬間を意識するということ。変えられない過去でも見えない未来に思い煩うのではなく現在の「いまこの瞬間」に集中するということ。
 
これは時間の流れを人生を過去から未来への「線」というキーネーシス的にではなく「いま、ここ」という「点の連続」という風にエネルゲイア的にとらえるというイメージ。
 
そして、現在の考え方をあるがままに客観的に善悪の判断を入れずに受け入れるということ。
 
鍵は「客観的」ということ。一歩下がって心のあり方をありのままに俯瞰する。「ああ、こいつめっちゃイライラしているな」「こいつ劣等コンプレックス丸出しだな」とあたかも第三者のように冷静に観察するというイメージ。
 
まあ、こんな風に言葉でいうと簡単ですが、自分で実践するとなると、これはなかなか難しい・・・まさしく明鏡止水の境地。
 
なので日頃から瞑想などを通じて訓練することが大事なんでしょう。
 
本書で推奨しているのはヨガ→呼吸法→瞑想の順番。これを習慣づけるとやがて心身ともにマインドフルな状態になるらしい。まあ、ヨガや瞑想は何種類かあって覚えるのも大変だし、いきなりこれをフルコースでやるのは難しいかも・・・まずは簡単なストレッチと呼吸法、基本の瞑想を楽な姿勢でできるところまで、実践してみようかと。
 
特に呼吸法はどこでもできますからね。感情と呼吸はリンクしているそうです。本書に書いてある以外にも色々方法はあるので、自分に合ったものを探してみればいいと思います。
 
ところで、瞑想というのは「無意識」を浮かび上がらせるという点では精神分析自由連想法と同じ発想のような気がするんですよね。精神分析の立場では、神経症の症状を「無意識に抑圧された願望の代理満足」と理解します。自由連想法というのは、患者は寝椅子に横たわってリラックスした状態で心に思い浮かんだ言葉を取捨選択せず、そのまま分析家に告白していく。こういう作業をやることで無意識に抑圧されていたものが意識まで浮かび上がり、神経症の症状は解消されるとされるんですよね。
 
けど、これはわりとカトリック文化圏における「懺悔」に近い感覚だと思うんですよ。そういう習慣のない日本で無意識にアプローチしようと思えば自由連想法よりも瞑想の方が馴染みやすいかもしれないです。
 
言うなれば「ひとり自由連想法」。もちろん分析家のガイドがある精神分析と違って自分でやるマインドフルネスは、そこまで簡単に無意識の深いところまでは潜り込めないでしょう。それでも日常的なストレス因子の解消にはなるでしょうから、是非実践して習慣付けたいですね。