かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

人見ルミ「心を整えるマインドフルネスCDブック」

 

 

 

集中力の向上、不安やイライラの解消、不眠対策など汎用的に使えるということで。前から興味あったマインドフルネスの本を読んでみました。この本は薄くて文章も平易であっさり読めて、しかもCDもついて値段1296円とお手ごろ。本書に書いてあることが全てではないとは思いますが、ざっくりイメージは掴めるでしょう。
 
ネットのヘルスケア記事なんか見てると、マインドフルネス=瞑想というイメージですが、マインドフルネスというのは特定の技法ではなく「穏やかでいながら注意深く集中している」という「心の状態」を言います。
 
本書を読んだ限り、おおきなポイントは二つあるようです。
 
まず、「いま、ここ」の瞬間を意識するということ。変えられない過去でも見えない未来に思い煩うのではなく現在の「いまこの瞬間」に集中するということ。
 
これは時間の流れを人生を過去から未来への「線」というキーネーシス的にではなく「いま、ここ」という「点の連続」という風にエネルゲイア的にとらえるというイメージ。
 
そして、現在の考え方をあるがままに客観的に善悪の判断を入れずに受け入れるということ。
 
鍵は「客観的」ということ。一歩下がって心のあり方をありのままに俯瞰する。「ああ、こいつめっちゃイライラしているな」「こいつ劣等コンプレックス丸出しだな」とあたかも第三者のように冷静に観察するというイメージ。
 
まあ、こんな風に言葉でいうと簡単ですが、自分で実践するとなると、これはなかなか難しい・・・まさしく明鏡止水の境地。
 
なので日頃から瞑想などを通じて訓練することが大事なんでしょう。
 
本書で推奨しているのはヨガ→呼吸法→瞑想の順番。これを習慣づけるとやがて心身ともにマインドフルな状態になるらしい。まあ、ヨガや瞑想は何種類かあって覚えるのも大変だし、いきなりこれをフルコースでやるのは難しいかも・・・まずは簡単なストレッチと呼吸法、基本の瞑想を楽な姿勢でできるところまで、実践してみようかと。
 
特に呼吸法はどこでもできますからね。感情と呼吸はリンクしているそうです。本書に書いてある以外にも色々方法はあるので、自分に合ったものを探してみればいいと思います。
 
ところで、瞑想というのは「無意識」を浮かび上がらせるという点では精神分析自由連想法と同じ発想のような気がするんですよね。精神分析の立場では、神経症の症状を「無意識に抑圧された願望の代理満足」と理解します。自由連想法というのは、患者は寝椅子に横たわってリラックスした状態で心に思い浮かんだ言葉を取捨選択せず、そのまま分析家に告白していく。こういう作業をやることで無意識に抑圧されていたものが意識まで浮かび上がり、神経症の症状は解消されるとされるんですよね。
 
けど、これはわりとカトリック文化圏における「懺悔」に近い感覚だと思うんですよ。そういう習慣のない日本で無意識にアプローチしようと思えば自由連想法よりも瞑想の方が馴染みやすいかもしれないです。
 
言うなれば「ひとり自由連想法」。もちろん分析家のガイドがある精神分析と違って自分でやるマインドフルネスは、そこまで簡単に無意識の深いところまでは潜り込めないでしょう。それでも日常的なストレス因子の解消にはなるでしょうから、是非実践して習慣付けたいですね。
 
 

親子丼の見た目を綺麗にするコツ

f:id:kagurakanon:20170114223001j:image
親子丼の見た目を綺麗にするコツは、基本的にはあんまりかき混ぜすぎないこと、そして卵を2回に分けて流し入れることだと思うんですよ。2段階で卵を流し込むことで「ふわふわ」と「とろとろ」の二層を作るわけです。そういうわけで、自家製レシピを書き出しておきます。
 
まず材料。
 
・卵2個
 
・もも肉:200g
 
・塩胡椒:ふたふりくらい
 
調味料。括弧内はつゆだくバージョン
 
・水・・・50cc(80cc)
 
・醤油・・・大匙1(大匙1.5)
 
味醂・・・大匙1(大匙1.5)
 
・酒・・・大匙1(大匙1.5)
 
・砂糖・・・小匙1(小匙1.5)
 
・昆布だし・・・小匙1(小匙1.5)
 
・味の素・・・三振りくらい(あれば)
 
作り方。
 
①鶏肉を塩胡椒し、さっと炒め、焼き目をつけておきます。その後は一旦、買ってきたパックとかに退避させておきます。
 
②調味料と玉ねぎを鍋に入れ玉ねぎが半透明になるまで煮込みます。ここで鶏肉を投入して、さらに煮込む。
 
③卵汁はあまりかき混ぜず、白身と黄身が軽く混じり合う程度。出し巻き卵みたいに白身を切ったりもしません。鍋に卵を半分から3分の2を投入。弱火1センチでさっとかき混ぜる。ここもあんまり混ぜすぎないよう。
 
④固まったら残りを流し入れ、今度は一切かき混ぜることなく、とろとろになるまで待ちます。
 
親子丼といえば定番は玉ねぎですが、玉ねぎの代わりに三つ葉で作ってみたら、また違う食感になります。味の素を入れると旨味が複雑になってお勧めかも。
 
個人的には鶏肉には焼き目をつけるのが好き。どうでもいいですが、鶏肉を入れなかったら、子供丼ですよね。

無限こまツナで小松菜大量消費\(^o^)/

f:id:kagurakanon:20170219013438j:image
 
ウサギみたいな愛嬌のある葉っぱ。ほどよい苦味。ほうれん草と同じく鉄分豊富。それにカルシウム含有量は野菜の中ではケールに次いで豊富な小松菜。いまが旬ですね。
 
そういうわけで無限ピーマンのバリエとして無限こまツナを作って見ました。
 
ごはんにもお酒にも相性抜群で、あっという間に大量の小松菜を食べられますΣ(゚∀゚ノ)ノ
 
・小松菜・・・2〜3本
 
・ツナ缶・・・1缶
 
・ごま油・・・大匙1
 
・鶏ガラスープの素・・・小匙1
 
・塩胡椒・すりごま・・・適量
 
作り方は無限ピーマンと基本一緒。1センチくらいに刻んだ小松菜の上に調味料を全部載せて、ランプをかけてレンジ2分。小松菜はアク抜きをしないでいいから便利ですね。あとは混ぜて出来上がりです\(^o^)/
 

 

 

いま注目の腸内フローラを世界的権威がやさしく解説--腸を鍛える-腸内細菌と腸内フローラ(光岡知足)

 
 
本書の著者、光岡知足先生はあの「善玉菌・悪玉菌」の名付け親として知られる腸内フローラの世界的権威です。腸内フローラ(腸内細菌叢)っていう言葉はきっとどこかで聞いたことがあるでしょう。腸内における善玉菌、悪玉菌、日和見菌のバランスのことを言います。フローラとはラテン語で「お花畑」という意味で、細菌たちがグループごとにより集まっている様相からそう呼ばれています。理想的なのはだいたい善玉菌2割、悪玉菌1割、日和見菌7割っていう住み分けだそうです。
 
腸内フローラの改善は単に「お腹の調子を整える」だけにとどまりません。腸内フローラは風邪やインフルエンザといった身近なところから、血糖、血圧、がん細胞、さらにはセロトニンメラトニン、女性ホルモンに至る様々なところに関わっています。
 
人の腸内には数にして100兆個以上、重量にして1㎏以上の腸内細菌が住んでいるのですから、もはや、体の中に別の生き物がいるといっていいレベル。腸内フローラを無視したヘルスケアなんてものはあり得ないと言ってもいいんじゃないでしょうか。
 
さて。腸内フローラを改善するにあたっては、プロバイオティックス、プレバイオティックス、バイオジェニックスという、3つのアプローチがあります。
 
まず、プロバイオティクス。毎日、ヨーグルトなどから外部乳酸菌を継続して摂取するアプローチです。世間でよく言われる「生きた乳酸菌を腸に届ける」というのがまさにこれであり、確かに基本中の基本ではありもちろん間違ってはいません。
 
ただ、外部乳酸菌が生きたまま無事、腸に辿り着いたとしても、多くは定住しないんですよ。腸の中にいる間は常在善玉菌と一緒に頑張ってくれるんですけど、悲しいかな結局はヨソ者。数日程度で体外に排出されるといわれています。
 
なので外部乳酸菌の摂取と同じくらいに、常在善玉菌を育てることも大事ということになります。そこで善玉菌のエサとなるオリゴ糖や水溶性食物繊維も積極的に摂取していく。これがプレバイオティックスです。なおプロバイオティックスとプレバイオティックスの併用をシンバイオティックスともいいます。
 
プロ野球で言えば、FAや助っ人外国人で補強しつつ、生え抜きも着実に育成するという感じでしょうか。
 
そして、最近では、生きた乳酸菌にこだわらず、死んだ菌を含む大量の菌体成分や代謝物を摂取したほうが、腸管免疫の活性の上では合理的であるいう考え方が有力になっています。これがバイオジェニックスです。
 
とりあえず、「上澄みだけかっさらう」という感じ、といえば聞こえが悪いですけど、腸内フローラの機能自体が低下しているお年寄りの方などには一番てっとりばやい方法ともいえるでしょう。
 
例えば、巷でインフルエンザに効果があると評判の明治のR-1ヨーグルトは、R-1乳酸菌(Lactobacillus delbruecki subsp. bulgaricus OLL1073R-1)そのものというよりR-1乳酸菌が代謝したEPS(細胞外多糖)にナチュラルキラー細胞を活性化する免疫賦活作用が期待されています。その意味ではバイオジェニックス的なヨーグルトと言えます。
 

 

バイオジェニックスのメリットは、死菌のため品質が安定しており管理がしやすく、一度に文字通り桁違いの莫大な菌数を摂取することができ、かつ応用範囲が広いという点にあります。今後、様々な商品開発が期待されるところです。
 
光岡先生はバイオジェニックス理論の提唱者でもあり、記述の信頼性は抜群です。特に腸管免疫の仕組みに関しては最新の知見を交え、かなり詳細に解説されています。文章も大変わかりやすく、腸内フローラに少しでも興味があれば読んで得るものは決して少なくないでしょう。
 

ラカンをもってラカンを読む--ラカン入門(向井雅明)

 
 
 
「入門」とは銘打っているものの、初心者には難しいです。なんかラカンってサブカル評論でよく出てくる名前だし、さくっと全体像だけ掴みたいな的なニーズには向かない本かもしれません。
 
もちろんそれだけ濃密な内容ということなので、一通りの全体像を見渡せるようになってもう一度再読すればかなり勉強になりそうです。
 
最初読んだときは文章が若干回りくどいと感じられて、読書メーターでも申し訳ないことに初読の率直な感想をそのままにそういう書評を書いてしまったんですが、その後、新宮本やフィンク本などに当った後に再読するにあたって思うのはこれは多分、ラカニアンの方の中では相当わかりやすい部類なんじゃないでしょうか、ということです。
 
かなり誠実に書かれているように思う。本書はもともと「ラカンラカン」という表題で出版されたものの改訂版であり、奇怪難解で知られるラカンの理論体系をラカン自らを以って明らかにしようとした試みでもあります。
 
ラカン読解の手順としてはとりあえず現実・想像・象徴といった例の三幅対を抑えた後は前期理論の集大成と言われる「欲望のグラフ」の解析に取り組むべきなんでしょうかね・・・
 
向井さんは欲望のグラフについて本書でかなりのページを割いて丁重に解説されています。 欲望のグラフにせよ父性隠喩にせよ、ラカンの理論の中核は一貫してフロイトのエディプスコンプレックスの構造的・理論的解明なんですよ。
 
いまどきエディプスコンプレックスなんて大真面目に言うと嘲笑されるのかもしれませんが、そもそもあれは分析主体の個人的経験として理解するべきではないんでしょう。
 
人間に先天的に内在する母性原理と父性原理の止揚の過程における一つの神話的な説明であるというという理解であれば、ある程度、納得できる部分もあると思われます。

かがみのように共感するということ

人は誰かから「悩み相談」など受けた時、どうしてもつい、何か「アドバイス」をしたくなるものですよね。
 
しかし、アドバイスは概して役に立たないことが多いと言われます。もちろん、客観的な情報提供で物事が解決する時もあるでしょう。例えば、相談の中身が連立方程式の解き方とかiPhoneの操作方法などです。そういうのは普通にアドバイスすればいいんですよ。
 
けれど、問題がその人の人生観や世界観といった主観的な領域に密接に関連する場合、「正しい人生観や世界観」なるものが存在しない為、よっぽど相談者が助言者に心酔していない限り、アドバイスが功を奏することはないとみていいと思います。時にはその内容が「正論」であればあるほど、相手の反感を買ってしまうこともあるでしょう。
 
そういう悩みを打ち明ける人は「アドバイス」を聞きたいのではなく、「共感」が欲しくて悩みを打ち明けていることが多いのです。
 
一般的に「悩み相談に対してはアドバイスではなく、共感が大切」と言われます。
 
共感とは、カウンセリングの神様と言われたカール・ロジャーズの言葉を借りれば「クライエントの内的な主観的世界を、セラピストがあたかも自分のものであるかのように感じ取り、 しかも巻き込まれずに、『あたかも~のような(as if)』という性質を失わないこと」などと言われます。
 
この定義は決して間違っていないでしょう。けど、いざ人の話を聴こうとする時、共感的態度に徹するというのはなかなか難しいものです。やっぱり何か喋りたくなって、毒にも薬にもならないアドバイスをしてみたり、「実は私も同じようなことがあって・・・」などと言い出したりして、いつの間にか話の主導権を取っていた、ってことだってあるでしょう。
 
そこまでいかなくとも、だんだん聞いているのがつまらなくなって、いつの間にか、適当な相槌というか、「生返事」になっていることもあるでしょう。こうなると話し手からすれば面白くない。「あの人なんかに言わなきゃよかったな・・・」という悪感情だけが残ったりしてしまう。
 
そもそもなんで人は共感なんか欲しがるんでしょうか?その理由がよくわからないまま、なんとなく相槌打ったりオウム返ししたりするから、だんだん態度が適当になっていくんだと思うんですよ。
 
個人的には、共感とは「鏡像段階の反復」だと思っています。
 
鏡像段階というのは簡単に言えば、生後6ヶ月から18ヶ月の間の時期の幼児が鏡を見て自我を獲得するという、フランスの精神分析家ジャック=ラカンの提唱した発達段階概念です。
 
生まれて間もない赤ちゃんは、いまだ神経系が未発達なのでバラバラの身体イメージの中に生きており、いわばまだ「わたし」として生きているわけではなく、ある時。鏡の中に写った自分の姿を見て初めて「わたし」を「発見」するということです。
 
そして自分を「誰々ちゃん」と呼んでくれる両親を始めとした他者もある意味で「かがみ」です。つまり「わたし」は「あなた」によって作り出されていくことになります。
 
こうして、鏡像段階によって作り出された自我はその後も他者を鏡として二次的同一化を続けていき、その反復運動は死ぬまで続けられることになります。人は常に誰かに「かがみ」のイメージを投影して生きていくわけです。
 
なにが言いたいのかというと、要するに、目の前で話している人が求めているのは下手なアドバイザーなどではなく、鏡像段階の反復としての「かがみ」に他ならないということです。目の前で聴いている人が「かがみ」の役割になってくれることで、話してる側は「そうか、私はこう思っていたのか、こういう気持ちだったんだ」と自分の考えが自分の中で整理されていくわけす。
 
もっとも鏡像段階自体は本当に発達段階としてそういうものが存在するのかは学術的に異論のあるところです。ラカン鏡像段階の論証として様々な生物学の議論を参照していますけど、現代自然科学から見れば正直、結構怪しげなものも混じってます。
 
それでも意識の起源に迫った哲学の一つとして鏡像段階理論は今でも高く評価されています。
 
もちろん、それこそそんな、訳のわからない得体の知れない言説に「共感」などできるか、といわれたらそれまでです。
 
ただ、本当に大事なのは、そういう誰かの声に共感していく、耳を傾けて行く上での自分なりの物語を自分の中に作っておくということなんです。そういう物語があるのかないのかでは自ずと話を聴く態度も違ってくると思うんですよね。

アドラー心理学に馴染めない方にお勧めしたいユング心理学の不思議な世界--無意識の構造(河合隼雄)

 

再読です。このところずっとラカンばっかり読んでたけど、久しぶりに原点回帰というか、河合隼雄先生の本が読みたくなって、久しぶりに本棚から引っ張り出してきました。

 
河合隼雄先生っていうと、なんか、面白エッセイストとか、あるいは文化庁長官をやってた人とか高松塚古墳の件で吊るし上げられた人とか、そういう印象を思い浮かべる方も多いでしょうけれど、そもそもは日本屈指のユング心理学の専門家です。
 
本書はもう何十年も前の本ですが、ユング心理学の導入本として本書を超える本は未だ無いでしょう。難解極まりないことで知られるユングの理論体系が簡明にまとめ上げられています(河合先生は文字通りの「ユング心理学入門」という概説書も書かれていますけど、いきなりこれを読むのは無謀だと思います)。
 
この本はアドラー心理学に馴染めない人にこそお勧めしたいんですよね。心理療法の本って自分自身との「相性」が割と大事だと思うんですよ。
 
アドラーの心理学って、心が健全な人がさらに成長するための処方箋として絶大な威力を発揮するんだろう、とは思うんですけど、心がもうどうしようもなく病んでいる人の場合は、結構相性が悪い気がするんですよ。
 
アドラーの理論は、諸々の悩みを「個人全体のライフスタイルの歪み」という「自分自身の問題」へ帰属させるので、例えば気分変調性障害のように、ただでさえ自罰的なライフスタイルを持っている人にとっては、もうどこにも逃げ場がないんですよね。
 
この点、ユングは、人の心を意識・個人的無意識・集合的無意識の三層に分け、意識の主体である「自我」と異なる「別の人格」が無意識の中に存在するとします。
 
従って、諸々の悩みは「自我とは別の人格」が外界に投影あれることで引き起こされる問題であり、「自我」=「自分自身の問題」としては帰責されないということです。
 
なので、ひとまずは「逃げる」ことができるんですよ。
 
「逃げる」っていうとなんか語弊があるんですけど、本当に人がギリギリまで追い詰められた時、逃避できる場所があるのってすごく大事だと思うんですよ。ユング心理学の根幹にある「相補性」や「共時性」といった考え方に救われる方はきっと多いはずです。
 
これは逆にアドラー心理学をある程度極めたと自負される方にとっても得るものは多いということです。ユング独特の専門用語は一見、胡散臭いですけど、よくよく内容を読み解いていけば、わりと普遍的なことを言っていて、アドラーに通じるものがかなりあるんですよね。御自身の考えをより深める良い刺激になるかと思われます。
 
この本を読んで、ユングの理論、あるいは河合先生の文章と相性がいいなって思ったら、次は「コンプレックス」や「影の現象学」なども読んでみるのがいいでしょうね。
 

 

コンプレックス (岩波新書)

コンプレックス (岩波新書)

 

 

影の現象学 (講談社学術文庫)

影の現象学 (講談社学術文庫)