かぐらかのん

本や映画の感想などを書き記していくブログです。

訂正されるコミュニケーション--佐藤俊樹『社会学の新地平』

*「社会学」の誕生とマックス・ウェーバー

 
「社会という秩序はいかにして可能になるか」を考察する「社会学」という学問は19世紀に始まりました。18世紀末に起きたフランス革命はヨーロッパの知識人に二つの革命的な考え方をもたらしました。第一に政治体制や社会秩序は変化するものであり、しかもその変化は例外的なものでも忌避すべきものでもなく、むしろ正常で望ましいものであるという考え方です。第二に政治体制や社会秩序を基礎づける「主権」とは君主でも議会もなく、究極的には人民にあるという考え方です。
 
そして、この二つの考え方は学問の世界に二つの問題を与えました。一つ目は政治体制や社会秩序はどのように、いつ、なぜ変化するのかという変化の様態、速度、根拠を明らかにするという問題です。二つ目は人民がその主権を行使するための意思決定の方法を明らかにするという問題です。こうした問題に答えるべく近代ヨーロッパでは「社会科学」が生まれ「歴史学」「政治学」「経済学」と共に「社会学」はその一角を担うことになります。
 
もっとも、この時代における「社会学」は他の学問の中の一部門という位置づけにありました。例えば「社会学」という言葉の生みの親であるとされ、社会の発展段階を「神学的・形而上学的・実証的」という三段階の法則として定式化したオーギュスト・コントは「数学」を頂点とする学問体系の土台として「社会学」を位置付け、ダーウィンの進化論を応用した「社会進化論」を立ち上げたハーバート・スペンサーは自身の展開する「哲学」の中に「社会学」を位置付けています。
 
社会学が一つの独立した学問領域として認識されるようになるのは19世紀から20世紀の転換期に入ってからです。この時期を代表する社会学者として「機械的連帯から有機的連帯へ」という社会的分業の発展図式を提唱したエミール・デュルケームや「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」という有名なテーゼで知られるフェルディナント・テンニェスと共に、宗教社会学、支配社会学、経済社会学法社会学、政治社会学など多方面にわたって画期的な仕事を残したマックス・ウェーバーの名が挙げられます。
 
本書『社会学の新地平』は現代においては社会学というカテゴリーを超えて様々な領域で参照されるウェーバーの理論を切り口として、現代を生きる大多数の人に共通する「この」社会であるところの「産業社会」を読み解いていきます。
 

* 経済学から社会学

ウェーバー1864年プロイセン王国エアフルトに生まれ、幼少から早熟な才能を見せ、15歳で「インドゲルマン諸国民における民族性格、民族発展、および民族史の考察」という論文を書いています。1882年にウェーバーハイデルベルク大学に進学し、その後、シュトラスブルク大学、ベルリン大学ゲッティンゲン大学で法律を学び、1886年には「判事補」の資格を取得して裁判所に勤務しながらベルリン大学で学究生活を続け、1889年に「中世商事会社史論」という論文で法学博士の学位を取得します。こうしてウェーバーはまずは法制史、経済史の研究者としてそのキャリアをスタートさせました。
 
1892年、ベルリン大学の私講師になったウェーバーは社会政策学会から東エルベの農業労働者の調査を依頼され、その調査報告書である「東エルベドイツの農業労働者事情」は学会から高い評価を得ました。1894年にウェーバーフライブルク大学に正教授として招聘され、1895年における教授就任講演「国民国家と経済政策」は良くも悪くも大きな反響を引き起こし、1896年には歴史学派経済学の泰斗カール・クニースの後任としてハイデルベルク大学に迎えられます(ちなみにハイデルベルク大学というのは日本でいえば京都大学のようなポジションです)。
 
ここまでのウェーバーはまさに順風満帆な学者人生を歩んでいるようにも見えます。ところが1897年に彼は父親との確執がきっかけで精神疾患にかかり、大学を休職し数年にわたる療養生活を余儀なくされてしまいます。こうした苦境のさなかで彼は「ロッシャーとクニース、および歴史学派経済学の論理的問題」(1903〜1904)という論文で歴史学派経済学を批判して経済学者から社会学者に転向します。そして、後に社会学マックス・ウェーバーの代名詞となる「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904〜1905)という論文もこの時期に発表されました。
 

* 資本主義の精神の誕生--「予定説」をめぐるアクロバティックな論理

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、倫理論文)」の主題は西洋近代社会における「資本主義の精神」の解明であり、その論旨は以下のようなものです。まず同論文は近代資本主義がプロテスタント圏において発達したことから「資本主義の精神」と「プロテスタンティズムの倫理」との間には因果関係が存在するという仮説を提示します。ここでいう「資本主義の精神」とは単なる利益の追求ではなく、自身の職業を神の呼びかけに応じた「ベルーフ(天職)」と見做す倫理であり、ウェーバーはその範例として「時は金なり」という言葉で知られるベンジャミン・フランクリンを取り上げ、その起源をマルティン・ルター宗教改革に見出します。
 
そしてウェーバーによれば「資本主義の精神」を決定付けた契機がジャン・カルヴァンの提唱した「予定説(二重予定説)」です。この「予定説」によれば救済される人間はあらかじめ神によって決定されており、人間の努力や善行の有無などによって、その決定を変更することはできません。つまり、善人でも救われていないかもしれないし、悪人でも救われているかもしれないということです。なおかつ人間は神の意思を知ることができないため自分が救済されるのかどうかをあらかじめ知ることも、もちろんできません。
 
そこで「予定説」を信じる人々はどうしたかというと「神によって救われている人間ならば、神の御心に適うことを行うはずだ」という因果の逆転したアクロバティックな論理を生み出して自身のベルーフに禁欲的に励むことで「自分はすでに救われている」という確信を得ようとした、とウェーバーはいいます。
 
このようにウェーバーは「資本主義の精神」の原風景に「プロテスタンティズムの倫理」に規定された「世俗社会の修道院化」を見出していました。しかし、近代化が進展して信仰が薄れた時「資本主義の精神」を消失した「精神なき専門人」や「心情なき享楽人」が跋扈するようになり「この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類がいまだかつて到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう」とウェーバーは述べています。
 

* 社会学における因果と意味

 
このように倫理論文においてウェーバーは「資本主義の精神の成立にはプロテスタンティズムの倫理が決定的な役割を果たしている(少なくとも原因の一つである)」と主張しました。このウェーバーの主張は発表当時から大きな論争を引き起こし、現在でも決着がついていません。しかしながら倫理論文の本当の意義はその「結論」ではなく「問い」の方にあります。
 
ウェーバーは倫理論文で「資本主義の精神の成立にはプロテスタンティズムの倫理が決定的な役割を果たしている(少なくとも原因の一つである)」という仮説を立てることで社会学における二つの大きな問いを開きました。その一つは彼が主張した仮説を裏付けるための「因果(原因と結果の関係)」はどうすれば論証できるのかという問いです。そして、もう一つは社会における「意味(コミュニケーションの効果)」とは何かという問いです。
 
そして、このような「因果」と「意味」をめぐる問いを解くための参照項としてウェーバーは倫理論文でひとつの実在する企業を取り上げています。その企業の名は「カール・ウェーバー&商会」といい、ウェーバーの父方の伯父にあたるカール・D・ウェーバーが19世紀の半ばに創立した会社です。
 
もともとウェーバー家は代々、ビーレフェルトで麻織物商を営んでおり「ウェーバー」という姓もドイツ語で「織り手」を意味しています。亜麻は19世紀初頭におけるプロイセン王国の主要な輸出品の一つでした。ところが1820年代にイギリスやベルギーで機械式の製糸や織物の工場がつくられて大量生産が始まると輸出先を失い、国内でも輸入品との価格競争に巻き込まれることになります。こうした中でウェーバーの伯父であるカール・D・ウェーバービーレフェルト近郊のエルリングハウゼンで「カール・ウェーバー&商会」を立ち上げ、優秀な織り手たちを組織して高品質の製品を作らせて大成功をおさめました。
 
このような「カール・ウェーバー&商会」という組織をウェーバーは同論文において、まさに「資本主義の精神」を体現する存在として描き出し「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」を結びつける環を「カール・ウェーバー&商会」を範例とする近代的な「合理的組織」に見出します。
 
しかしながら、ウェーバー自身はこの近代的な「合理的組織」の内実を十分に捉えることができませんでした。そして、このようなウェーバーが残した課題に一つの解を与えたのが本書がもう1人の主役として取り上げる20世紀後半を代表する社会学者の1人であるニクラス・ルーマンによる組織システム論です。
 

* ニクラス・ルーマンの組織システム論

 
ルーマンは1927年にドイツ北部ニーダーザクセン州のリューネブルグで生まれました。高校在学中に第二次世界大戦に従軍し捕虜になっています。復員後、ほぼ半世紀前にウェーバーが在籍していたフライブルク大学で法学を学び、26歳の時にウェーバーと同様に判事補の資格を取り、長らく行政官僚として働いたのちに40歳を前に社会学者へと転身し、ウェーバー家の故郷にあたるビーレフェルトに新設された大学の教授となります。その後、ルーマンは「カール・ウェーバー&商会」の本社と工場があったエルリングハウゼンに移り住み、そこで亡くなっています。
 
このようにルーマンの人生は何かとウェーバーと縁深いものがありますが、何より重要な共通点としてルーマンもまたウェーバーと同様に産業社会の基幹である近代的な「合理的組織」を重視した社会学者であったということが挙げられます。
 
もっとも、ウェーバーは近代的な「合理的組織」を「職務」の階統的な集合としての「官僚制」と位置付け、上位者の「決定」に下位者が従属する構造として捉えていました。こうした組織においては現場に近づけば近づくほど裁量の余地はなくなり、下位者は上位者の指示通りに振る舞うしかなくなり、その結果、組織の置かれた環境(市場など)の急激な変動に対する柔軟な対応が難しくなります。これに対してルーマンハーバート・サイモン経営学理論を参照し、近代的な「合理的組織」を様々なステークホルダーによる水平的な協働を可能にする「決定」のネットワークとして捉え直しました。
 
この点、サイモンは単に時間的に「前の決定」が「後の決定」を方向づけるという形で決定の連鎖を考えていましたが、ルーマンはさらに「合理的組織」においては「前の決定」が「後の決定」を方向づけるだけではなく「後の決定」がその解釈を通じて「前の決定」を意味づけなおすことになると考えました。その後、彼はこうした「決定」のネットワークをシステムにおける要素がさらに新たな要素を産み出していく「オートポイエーシス(自己産出系)」という概念を中核とするコミュニケーションシステム論へと発展させていくことになります。
 

* 訂正されるコミュニケーション

 
このようなルーマンの考える「決定」のネットワークはコミュニケーションにおける「訂正可能性」の論理から捉えることができます。人間の行うコミュニケーションには奇妙な性格があります。たとえば子どもが遊んでいるとして、その遊びが「かくれんぼ」だったのがいつの間にか「鬼ごっこ」になり、またそれがいつの間にか別の遊びになっているといったことはよくある話です。
 
そして、このようなコミュニケーションの中でルールが絶えず「訂正」されていく現象を東浩紀氏はルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキ言語哲学を参照して「訂正可能性」という名で理論化しています。

 

 

 
すなわち、子どもの遊びにおいて「かくれんぼ」が「鬼ごっこ」にいつのまにか変わってしまうように、ルーマンのいう「決定」のネットワークもまた「前の決定」が「後の決定」によって「じつは」と訂正される契機を孕んだものとなっているという点で、東氏が「訂正可能性」と呼ぶコニュニケーションの本質からまっすぐに導かれるものであるということです。
 
こうした意味で本書は社会学を学ぶ上では避けては通れない古典である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読み解く上でアクチュアルな視座を提示する一冊であると同時に、現代において誰もが何らかの形で不可避的に関わることになる「この」社会におけるコミュニケーションの本質を考えるための一冊であるともいえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自己治療としての批評--岩川ありさ『物語とトラウマ』

* トラウマという領域

 
戦争や災害や事件や事故といった出来事はしばし人のこころに「トラウマ」と呼ばれる深い痕跡を残します。従来、トラウマをめぐる研究は精神医学、心理学、文化人類学当事者研究といったさまざまな学問領域において多角的な視点から行われてきましたが、1980年にアメリカ精神医学会が『精神障害の診断・統計マニュアル第3版(DSM-Ⅲ)』に追加したPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)というカテゴリーはトラウマ研究において大きな転機となりました。
 
PTSDの主な症状としては⑴再体験ないし侵入(外傷的な出来事がイメージ・思考・知覚の形で反復的かつ侵入的に想起されること)⑵回避ないし鈍麻(外傷的な出来事に関連する物事を避けようとしたり興味を感じなくなったりすること)⑶過覚醒(睡眠障害、注意集中の困難、過剰な警戒、極端な驚愕反応)があげられます。これらの症状は再体験が起こるがゆえに、それを避けようと回避が起こり、回避を達成するために過覚醒に陥ってしまうという関係に立っています。
 
なおPTSDの原因は単回性の出来事のみならず反復性の出来事(例えばいじめや虐待など)が外傷となる場合もあります。その場合はべセル・ヴァン・デア・コルクらのいう「複合性PTSD」 やジュディス・ハーマンのいう「複雑性PTSD」に相当し、しばしば自傷や解離、慢性抑うつを伴うことが知られています
 
このPTSDという概念は日本においても1995年の阪神淡路大震災をきっかけとして広まり、今日においてトラウマという言葉はPTSDと強く結びつけられて理解されることが多くなりました。日本においては「心的外傷後ストレス障害」と訳されるPTSDはトラウマがもたらす苦しみを直感的に理解する上で有益な一面があることは疑いありませんが、しかしその一方でトラウマという言葉にはPTSDというカテゴリーには回収しきれない広がりが含まれています。
 
そして、このような広がりを持つトラウマという事象に対して文学の言葉はいかに向き合えるのかという問いを正面から受け止めて真摯に答えようとする一冊が本書『物語とトラウマ』です。
 

*「語りえぬもの」が語り出されるとき

本書は「心に傷を負う経験をした人びとにとって、文学や文化は生きのびるための表現となりうるのか」というひとつの問いから出発し、個人的な心理や病理に還元されがちなトラウマの問題を社会的、文化的、歴史的な事象との結びつきの中で捉え、臨床知と人文知を架橋する学際的な視点から現代日本文学を読み解いていく批評の試みです。
 
この点、精神医学や精神分析や臨床心理といった領域においては「語りえぬもの」としてのトラウマを個人の生の中に位置付けていくため自由連想法箱庭療法、絵画療法、プレイセラピーなどさまざまな技法が模索されてきました。こうした臨床における営みの中で「語りえぬもの」が語り出されるとき、そこには「物語」が生み出されることになります。
 
本書のいう「物語」とは個人の生を形作ると同時に縛り付ける枠組みでもある一方で、個人の生を規定しようとする支配的な物語のあり方を解きほぐすよりどころでもあります。そして人生のそれぞれの段階において「物語」の受け止め方は変化して、その都度新たな読み方の可能性が生まれ、それまで支配的だと思っていた物語のほつれ目に思いもよらない手がかりを発見することもあり、終わることのない読む行為のさなかで時代や社会との接点を見つけることではじめて浮かび上がる言葉があると本書はいいます。
 
このような観点から本書ではフェミニズム批評やクィア批評を手がかりとして大江健三郎氏や多和田葉子氏をはじめとする9人の作家たちの小説が論じられることになります。この点、岩川氏は「トラウマとともに生き、物語を読むことは自らのトラウマとの出会いなおしであり、再び、危機へと直面する経験でもある。それでも、私は、読むことを通じて、自分では言葉にできない記憶と向き合わざるをえなかった」といい、本書は「解釈と自伝的な要素」が結びつくところで生まれる「自伝的な研究」とならざるを得なかったと述べています。こうしたことから本書にはトランスジェンダー当事者としての視点や過去にいじめや性暴力被害を受けた経験などが反映されています。
 

* 語りかけと応答のあいだで--フェミニズム批評

 
まず本書における議論を支える大きな柱の一つがフェミニズム批評です。1960年代の女性解放運動と連動する形で醸成されてきたフェミニズム批評は性差別を鋭く暴き出す批評として登場しました。もっともその立場や目的によってフェミニズム批評の方法論は多岐にわたり、その一つとして男性作家が書いた作品を女性の観点から見直し、男性による女性の抑圧がいかに反映されているか、あるいは、家父長制的なイデオロギーが作品を通していかに反映されているかを明らかにするという方法論があります。
 
これに対して女性の書いた作品を研究対象とする立場が「ガイノクリティックス」です。その目的は男性中心に形成されてきた伝統的な文学において黙殺されてきた女性作家の作品を発掘したり再評価する点にあります。また1970年代〜1980年代フランスのフェミニズム批評においては精神分析的見地から女性と言語との関係に注目し、女性作家の作品がいかに女性特有の言語で書かれているかが論じられてきました。
 
そして本書もショシャナ・フェルマンやエレイン・ショウォールターといった先達の言葉を引きフェミニズム批評が文学研究にもたらした革命性を高く評価しつつ、その上でフェミニズム批評を「語りかけ」と「応答」という相互行為のなかで生成される批評実践として捉え、そこには言葉や表現によって差異のある人々が作り出す暫定的な共同性を生み出してゆく批評があるといいます。
 
フェミニズム批評が明らかにしてきたように文学研究は長らく西洋中心主義、異性愛中心主義、シスジェンダー中心主義、健常者中心主義などに規定され、その中でレズビアンバイセクシャルトランスジェンダーの女性たち、第三世界の女性たち、有色人種の女性たち、障害を持った女性たちは周縁的存在とされてきました。けれども、こうした多様な女性たちが「語りかけ」「応答する」という連続性や過程の中でこそ、新たに言葉が生まれ、物語が生まれるという点を本書は強調しています。
 

* 叛逆する物語--クィア批評

 
さらに本書の通奏低音にはクィア批評があります。日本語では「変な」「奇妙な」などと訳される「クィア」という言葉は、もともとは英語圏でゲイ男性に向けられた蔑称でしたが、やがて当事者たちによって戦略的に用いられるようになり、現在ではセクシュアル・マイノリティと呼ばれる当事者全体を包摂する意味を帯びるようになります。
 
このような意味での「クィア」の特質を理解するうえで重要なことは、当初からその考え方のなかに「差異の主張(セクシュアリティ/ジェンダーをめぐるあらゆる二項対立においてマイノリティ側に置かれた当事者の主体化)」と「普遍性に基づく連帯(セクシュアリティ/ジェンダーをめぐるあらゆる二項対立そのものの脱構築)」という相矛盾する二つの指向性を胚胎させていたという点です。
 
こうした視座から、これまでクィア批評は性、身体、欲望をめぐるさまざまな社会的な規範を問い直し、テクストの中に散りばめられたクィアな生存の可能性を掴み取り、特定の生が不当な扱いを受けたり、生存をおびやかされ死にさらされるような社会的状況や条件を問い直してきました。本書もまた村山敏勝氏の「クィアする」という言葉を引き、クィアに読むこととは異性愛中心の解釈に動的に介入し、別の解釈を見出そうとする実践であると同時にクィアという言葉が持っているのは、既存の規範を問い直し、規定された物語に逆らい、別の物語の可能性を断固として主張するような読み方であると述べます。
 

* 前未来形の文学

 
精神科医中井久夫氏はトラウマ的な記憶(外傷性記憶)について「静止的」で「鮮明性」で「感覚性」がある一方「文脈が不明」で「言語化が困難」であり「反復出現」するといった特性をあげています。このような断片化された記憶としてのトラウマを語るとき、どのような「時制」で語るかが重要となります。例えば過去が完了しないまま回帰してくるトラウマは単に「した」という「過去形」のみでは語りえないということです。
 
トラウマ的な記憶はそれを想起し語ることができるようになって初めて、これは自分にとって深い心の傷であったと了解できるような事後性があります。換言すればトラウマについての語りは未来において自らに起きた出来事がトラウマであったと了解し、把握することができるようになってはじめて過去になるということです。
 
そこで本書は「予感」「徴候」「余韻」「索引」という中井氏の示す世界の織りなされ方と時の移り変わり方を変奏し、トラウマを負った人が見ている世界の語り方のひとつとして「前未来形」を見出しています。ここでいう「前未来形」とは「未来のある時間に完了するであろう行為」を表現するフランス語の文法用語であり、今はないが未来には完了しているものごとを表現しうる時制です。
 
この点、クィア批評を代表する思想家の1人であるジュディス・バトラーは『戦争の枠組--生はいつ嘆きうるものであるのか』(2009)でロラン・バルトジャック・デリダの議論に応答する形で「生がはじまり維持されるための条件」として「この生は、将来において、すでに生きられた生となるだろう」という未来形と完了形が重なり合う「前未来形」が前提とされなければならないといいます。
 
そして「前未来形」は「Aが起こればBが起こる」という従属節が主節の条件となる形で記されることが多いことから本書は「この生は、将来において、すでに生きられた生となるだろう」というバトラーの言葉が可能になるのは「医療保険、公教育、住宅、食料の分配と入手可能性の解決策」などの様々な社会的・経済的条件が満たされていなければならないとして、現在の新自由主義的な政治経済体制においてこのような従属節としての社会的・経済的な条件は破壊的な打撃を受けており、生は「不安定性」のただなかにあると述べます。
 
すなわち「前未来形」の文学とは未来のある時点でトラウマ的出来事を生き延びたものが過去の自分と出会い直すような時間の表現であると同時に、その生が生きられるための社会的・経済的な条件の回復される必要性を示すものであるということです。
 

* 自己治療としての批評

 
本書はトラウマ的な出来事をめぐる新たな対話の回路を見出していくための批評の試みです。この点、岩川氏は「本書で行いたいのはまさに、研究の言葉、理論の言葉を自伝的要素とつなぐ転換であり、そのためには、自伝的要素と批評や研究を切り離さないことが重要だということである」としつつ「しかし、私は、読むこと、批評することを何よりもしたいのだ。小説と向き合うことで、自分の人生の局面を切り開くような読みの可能性を提示したいのだ」と述べ、本書を「自伝的クィアフェミニズム批評」と位置付けています。
 
かつて村上春樹氏は河合隼雄氏との対談の中で「小説を書く」ことは「自己治療的な行為」になると述べていますが、おそらく「小説を読む」こともまた同様に、読み手がテクストの中に「語りえぬもの」を語るための言葉を見出すことによりトラウマの記憶の中から--まさに「自分の人生の局面を切り開くような読みの可能性」としての--自身の物語を紡ぎ出していく「自己治療的な行為」となりうるでしょう。そして、こうした自己治療的な切り口から小説に向き合う「批評」という営みを行うにあたり、本書は確かな道標を示してくれる一冊であると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「正しさ」をめぐる思考実験--九段理江『東京都同情塔』

*「訂正」される「正しさ」

 
批評家の東浩紀氏は近著『訂正する力』(2023)において過去との一貫性を主張しながらも実際には過去の解釈を変えて現実に合わせて変化する力としての「訂正」の論理の重要性を説いています。人間の行うコミュニケーションには奇妙な性格があります。たとえば子どもが遊んでいるとして、その遊びが「かくれんぼ」だったのがいつの間にか「鬼ごっこ」になり、またそれがいつの間にか別の遊びになっているといったことはよくある話です。
このようにルールが絶えず「じつは」というかたちで「訂正」され続けていく現象は子どもの遊びのみならず人間の行うコミュニケーション全般において見られます。東氏はこのようなコミュニケーションにおける特性をルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキ言語哲学を参照することで「訂正」の論理として理論化しました。
 
そしてこの「訂正」の論理は社会における「正しさ」にも例外なく適用されます。周知の通り現代は社会のあらゆる領域において「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」が重視される時代です。もちろん「正しさ」を求めることはとても大切なことですが、その一方でいまや「正しさ」がまさに他者を「糺す」ための道具としてやや安易に利用されている観も否めません。
 
ところで「コレクトネス」という言葉は「コレクト」という動詞の名詞形ですが、この「コレクト」は「校閲する」とか「まちがいを正す」などといったまさに「訂正」を意味する言葉です。すなわち、現在の「コレクトネス=正しさ」とは普遍的な規範などではなく、常に「コレクト=訂正」という運動の中で生み出された暫定解でしかないということです。
 
そうであれば今この時の「正しさ」も5年後には「間違い」になるかもしれないし、逆に今の「間違い」が「正しさ」になるかもしれません。こうして常に「訂正」されていく「正しさ」が今後向かっていくかもしれないひとつの可能性を思弁する一冊が第170回芥川賞を受賞した九段理江氏の『東京都同情塔』です。
 

*「シンパシータワートーキョー」から「東京都同情塔」へ

 

 

本作の舞台はそう遠くない未来の東京です。本作の主人公である新進気鋭の建築家、牧名沙羅は2030年に新宿御苑に完成予定の巨大刑務所のデザインコンペに参加するための構想を練っていました。その巨大刑務所は収容者が快適かつ幸福に暮らせるという奇妙なコンセプトを掲げていました。しかし沙羅はその奇妙なコンセプト以上に「シンパシータワートーキョー」という刑務所とはとても思えないリゾート施設めいた名称に強烈な違和感を覚えていました。
 
様々な方面で何かと「正しさ」や「配慮」が求められる風潮においては語感がマイルドになり角が立ちづらいカタカナは便利な文字です。本作が描く世界では現実以上に様々な領域でカタカナによる言い換えが氾濫しています。例えばこの世界における犯罪者や服役囚は「(不憫な境遇から)同情されるべき人々」という意味で「ホモ・ミゼラビリス」と呼称されています。そして彼ら彼女らを収容することになる巨大刑務所「シンパシータワートーキョー」という名称も同様の発想から生まれたものでした。
 
そんな折、彼女が缶詰となっている都心のホテルを訪れた15歳年下のボーイフレンドである拓人は建設プロジェクトの関係資料を偶然目にして「シンパシータワートーキョー」を「東京都同情塔」という言葉に何気なく言い換えます。そして、沙羅は「東京都同情塔」という言葉に強く惹かれ「語の構造はシンメトリーだし、音的にも綺麗な韻を踏んでいて、刑務所にふわさしい適度な厳しさも含んでいる」ことから、これから建設されるタワーの名称は「東京都同情塔」こそふさわしいのではないかと思うようになります。
 
本作では東京オリンピックが当初の予定通り2020年に開催されており、現実には〈アンビルド〉になったイラク出身の女性建築家ザハ・ハディド氏が設計した新国立競技場も建設されています。そして、この競技場と高層タワーの対比が物語の一つの軸を成しています。
 

*「ホモ・ミゼラビリス」なる人々

 
本作の世界観の枢要部にあるのは「ホモ・ミゼラビリス」という架空の概念です。本作において「ホモ・ミゼラビリス」とは社会学者にして幸福学者のマサキ・セトが提唱した比較的新しい概念とされており、彼は著書『ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々』において従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた属性の人、また刑事施設で服役中の受刑者、非行少年を指して、その出自や境遇やパーソナリティについて「不憫」「あわれ」「かわいそう」といった同情的な視点を示し、彼らを「同情されるべき人々」つまり「ホモ・ミゼラビリス」として再定義しています。
 
またセトは従来の意味における「非犯罪者」を「幸せな人々」「祝福された人々」を意味する「ホモ・フェリクス」と定義し、彼らが自らの特権性を自覚する必要性を主張し、社会的な立場や属性による偏見や差別を考えるきっかけを提供したとされます。
 
そして、これらの新しいパースペクティヴは単に犯罪行為だけではなく社会全体に対する意識改革を促す重要な要素であり「誰ひとり取り残されないソーシャル・インクルージョン」と「ウェルビーイングの実現」に欠かすことができないと、本作では説明されています。
 

*「正しさ」をめぐる思考実験

 
果たして『ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々』は若年層を中心に支持を集め、同書の構想に基づき「シンパシータワートーキョー」の建設プロジェクトが立ち上がることになります。そしてセトはタワーの建設を受けて公刊された同書の『完全版』において犯罪者に厳しい処罰を望む人々やタワーの建設プロジェクトに反対する人々に向けて「なぜ、あなたは「犯罪者」ではないのか?」と問い、私やあなたがこれまで「犯罪者」にならずに済んでいるのは、私やあなたが素晴らしい人格を持って生まれたからではなく、たまたま素晴らしい人格を育むことが可能だった環境にいたからにすぎず、あなたがこれまで罪を起こさずクリーンに生きてこられたのはあなたの幸福な特権のおかげに他ならないといいます。
 
その一方でセトは世の中には特権を持たずに生まれてきた人がたくさんいて、良いことをしても誰からも褒められず、むしろ生まれてきたことを否定されながら大人になる人々がいて、そのような人たちは「報酬系」と呼ばれる脳の神経ネットワークが正常に育っていないことから、幸福な未来を想像できず、守るべき幸福がないため罪を犯すハードルが恐ろしいほど低いとして、彼らは「犯罪者」「加害者」である以前に「元被害者」であるケースが圧倒的に多いと主張します。こうしたことから彼は「そんな彼らとあなたが、同じ世界の、同じ法律/ルールのもとで、同じHomo(人種)として生きていかなければならないというのは、あまりにもアンフェアで、残酷な仕打ちではないでしょうか?」と述べています。
 
確かにリベラルな論理を純粋なかたちで徹底していけば、このような主張も少なくと思弁することは不可能ではないでしょう。正義が勝つとは限らない。努力が報われるとは限らない。想いが通じるとは限らない。人生は所詮は出来の悪いガチャでしかない。世界はそういうふうにできている。このような格差原理的な観点からすればもしかして現在において犯罪者と呼ばれる人々は将来において「じつは」この社会からひどい仕打ちを受け続けてきた被害者であり救済されるべき存在なのであるという思想が出てきてもまったく不思議ではなく、こうした思想が主流となった時代において「いや、それでも犯罪は犯罪だ」という主張はただちに大勢から「ホモ・ミゼラビリスの気持ちを考えろ」とか「意識をアップデートしろ」などと激しく糾弾されるかもしれません。
 
このような「正しさ」がまかり通る社会は現代の「正しさ」に照らせば到底容認できないディストピアでしょう。けれども「正しさ」が普遍的なものではなく常に「訂正」に開かれている概念である以上、今この時の「正しさ」も5年後には「間違い」になるかもしれないし、逆に今の「間違い」が「正しさ」になるかもしれないということです。こうした意味で本作は「正しさ」をめぐる思考実験をラディカルに追求する文学実践であったともいえるでしょう。
 

* AIの言葉と人間の言葉

 
本作は受賞記者会見での九段氏の「全体の5%ぐらいはおそらく生成AIの文章をそのまま使っているところがある」という発言が話題となりました。例えば次の文章の一部には生成AIの文章が含まれていると九段氏はいいます。
 
Sara:【君は、自分が文盲であると知っている?】
 
AI-built:【いいえ、私はテキストベースの情報処理を行うAIモデルですので、文盲ではありません。
そして「文盲」は、侮辱や軽蔑の意味合いを持つ可能性のある差別的表現です。相手を傷つける可能性があるため、使用を避けるべきです。この言葉を使うことで、他人の能力や知識を軽視したり、尊重しない態度を示すことのないよう配慮しなければなりません。(以下略)】
 
(『東京都同情塔』より)

 

九段氏によればこの文章におけるAI-builtの回答の最初の一行目が九段氏の質問に対してChatGPTが実際に出力した回答であり、後に続く文章は創作だそうです。また九段氏は本作のプロットも生成AIとのやりとりから生まれたといいます。九段氏がChatGPTに「『刑務所』という名称を現代的な価値観に基づいてリニューアルしたいです。どのような案が考えられますか?」と質問したところ『ポジティブリカバリーセンター』『コミュニティリユースセンター』『セカンドチャンスセンター』などほとんどがカタカナを使った外来語風の言葉が回答として返ってきたそうです(「シンパシータワートーキョー」はオリジナルの造語だそうです)。そして九段氏はこのカタカナの外来語だらけの回答を受けた際に感じた違和感が「軽いことばのはん濫が社会をゆがめている」という本作のプロットのヒントになったといいます。
 
 
本作のAIに対する態度は極めて両義性を帯びています。沙羅はAI(文章構築AI)を「体言止めで話しかけてもスルーしないのが文章構築AIの好きなところだ」「彼はいじらしいほど懸命に、文章を積み上げていく」と愛でる一方で「訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ」「いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない。人間が「差別」という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない。好奇心を持つことができない。「知りたい」と欲望しない」と突き放したりもします。
 
九段氏はAIが生成する言葉と人間が紡ぎ出す言葉の違いについて「現在のところ、AIが発する言葉と人間の発する言葉の違いは、『相手との関係性の中で初めて生まれる言葉があるのが人間』だと思います」と述べています。今後、ますます進化を遂げるであろう「AIが発する言葉」は「人間の発する言葉」の固有性を良くも悪くも様々な局面で問い直していくことになるでしょう。そして、それは突き詰めれば「人間」とは何かという問いに行き着くことになるでしょう。こうした意味で本作は常に「訂正」され続ける「正しさ」の可能性を描き出すと同時に、やはり常に「訂正」され続ける「人間」のあり方を問いに付す一冊であったように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

差異と反復の詩学--最果タヒ『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

* 差異と同一性

 

通常、人は「同一性(おなじもの)」を基準としてそこから逸脱したものを「差異(ちがうもの)」として位置付けます。このような意味で人の経験は「同一性」なくしては成り立ちません。しかし実際の経験の流れの中に身を浸してみると、事物の組成にせよ言葉の意味にせよ、世の中のあらゆる事象は常に同一ではなく変転してやまないことに気付かされることになります。すなわち「同一性」とはこのような事象の変転をある時点で便宜上切り出した断面であり、それはある種の理念でありフィクションに過ぎないものです。
 
「同一性」の手前には微細な「差異」の蠢く世界があるということ。およそ世界の中で何一つ同じものとしてとどまるものはないということ。こうした観点から「同一性」と「差異」の二項対立は「差異そのもの(あるいは差異そのものを内在する仮固定的な同一性)」へと脱構築されることになります。では言葉はこうした「差異そのもの」を捉えることができるのでしょうか。この点、ゼロ年代以降の現代詩シーンをリードする詩人、最果タヒ氏は「わからないぐらいがちょうどいい(『きみの言い訳は最高の芸術』所収)」というエッセイにおいて次のように述べています。
 
言葉は、気持ちや事実を伝えるために生まれた言葉だ。人によってちょっとずつ違うものを、簡略化して、互いに理解できる形に変える。そういう、とても大切な道具。とても、危なっかしい道具。言葉にするだけで、簡単にいろんなことが切り捨てられていく。その人だけの、ささいなこと、あいまいなことが、四捨五入みたいに消えていくんだ。どこまでも意味と紐づいているからこそ、使うだけで、言葉はその人だけの感情を押しつぶして少しずつ消していく。そして、それでも私は、言葉を書く仕事をしている。
 
(『きみの言い訳は最高の芸術』より)

 

最果作品の特徴は一般的でありきたりな言葉から逃れていくような「過剰な何か」を刺し止めていく極めて特異的な文体にあります。換言すれば、それは「互いに理解できる形」としての言葉が持つ「同一性」の手前にある「人によってちょっとずつ違うもの」「ささいなこと、あいまいなこと」としての「差異」の蠢く世界を、やはり言葉によって掬い=救いだそうとする試みであるともいえます。こうした意味で本作『十代に共感する奴はみんな嘘つき』は最果作品の核心部をなす「同一性」と「差異」のせめぎ合いを思春期のこころの揺らぎに託して真正面から描き出した小説であるといえるでしょう。
 

* 十代という季節

感情はサブカル。現象はエンタメ。
つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。
私は生きているけれど、女子高生であることのほうが意味があって、自殺したどっかの同い年がニュースで流れて、ちょっと羨ましい。パスタが食べたいけどお金がないから、家でミートソースばかり作ってもらって食べている。バターを節約したパスタはちょっとだまになって食べづらい。
 
(『十代に共感する奴はみんな嘘つき』より)

 

本作の主人公である高校生、唐坂和葉(カズハ)は常に周囲の環境に違和感を持ち、他者や世界に対して過剰な反発心を抱いています。カズハは他者との関わりの根拠を「愛」を範例とする「感情」と「セックス」に象徴される「現象」という二項対立に還元した上で「感情」をもとに行われるコミュニケーションを極度に唾棄する思考の持ち主であり、なかでも「共感」は彼女の中でどこまでも否定すべきものとみなされています。
 
誰がこのまえ好きな先輩に告白したとか、誰がこのまえテストでカンニングして見つかったらしいとか、そういう話をだらだら聞いて、私はひとり電車が過ぎ去っていくのを見ていた。乗らないの、とかきいてはいけない。このホームでベンチに座って団子食べて語り合うのが青春であって、かけがえのない時の流れなんだから。鴨川のそばにすわって臭くはないかもしれないけど水の匂いを嗅ぐカップルを馬鹿にはできない。
 
(『十代に共感する奴はみんな嘘つき』より)

 

カズハは同級生男子への告白をめぐるいざこざがきっかけでクラスの女子達からハブられてしまいますが、その一方でカズハから告白された(そして次の瞬間に振られた)当事者の「沢くん」は逆にカズハの独特のキャラに興味を持ち、何かと絡んでくるようになり、ここにカズハのクラスで孤立している「初岡」という女子が巻き込まれます。こうして本作はカズハ、沢くん、初岡という三者間が織りなすまったく噛み合わないコミュニケーションの様相を繊細かつ鋭い筆致で紡ぎ出していきます。
 
そんな折、京都の大学に7年間在籍しているカズハの兄が唐突に恋人と、さらに彼女の浮気相手である兄の親友を連れて帰ってきます。カズハの沢くんへの意味不明な告白の裏には兄に対して抱く複雑な感情があったようです。果たして兄の恋人(カズハいわく「ビッチ」)の浮気は自殺しそうな兄の親友を救うためという事情があり、彼女と結婚するという兄の言葉にカズハは激しく動揺します。
 

* 感情と共感

 

ビッチのやることは理解ができた。親友を救うために、愛を用いようとしなかった彼女を信頼できるとすら思った。私は愛なんて、セックスなんてわかんないけどそう思ったのだ。セックスでなんとかしようとしたならそれは、愛よりも筋の通った手段。感情ではなく現象だから。未来からも永遠に観測できる存在だから。愛は、消える、見えなくなる。あったのかすら、きっとおぼろげになってしまう、たぶん。それなのに結婚とかいう愛でビッチとの関係をつなぎ止めようとするお兄ちゃん。「愛じゃない、結婚だよ」とか言って「それに性行為はただの現象じゃないよ。そこには快楽がつきまとうだろ」とか言って。私の考えていることはわかるくせに「結婚」にはかたくなだから、私が見えていないものもふくめて全部、兄にだけ見えているのかもと思うとつらい。
 
(『十代に共感する奴はみんな嘘つき』より)

 

なぜカズハはこうまで「感情」や「共感」を拒絶するのでしょうか。まず、そもそも「感情」とは言葉によって生み出されるものです。これに対して言葉以前に湧き上がる身体的、現実的な正体不明の感覚を「情動」といいます。このような「情動」は帰属主体が不明確であり、送り手と受け手が明瞭に分かれておらず、志向性を持っていません。つまり「情動」において伝播は直接的なものであるということです。
 
しかし、やがて人は言葉を習得する過程で自身の「情動」に名前をつけていくことになります。こうして「情動」の持つ強度は縮減され「嬉しい」とか「悲しい」といった言葉に分節された「感情」という同一性の中で処理されることになります。このような「感情」は帰属主体が明確であり、送り手と受け手が明瞭に分たれており、志向性を持っています。つまり「感情」において伝播は間接的なものとなるということです。
 
こうしたことから送り手と受け手の「感情」が同じであるという保証はどこにもないわけです。例えば送り手の「悲しい」という感情はそのまま受け手に伝わるわけではなく、受け手では、まず「彼女が悲しんでいる」という認知が生じ、ここから「いったい何があったのだろう」「やれ困ったな」「私がさっき言ったことがよくなかったのだろうか」「どうしてあげたらいいんだろう」といったさまざまな思考が派生し、その中から最適解と思われる応答を送り手に送り返すことになります。
 
こうしてみると送り手から発信された「感情」を受信した受け手が行う一連のプロトコル(約束事)としての「共感」とは「感情」に照準をあてる限りで、常にその「同一性」の手前にある「差異」を取り逃がしてしまう側面を持っているともいえます。すなわち、カズハの抱える感情や共感に対する苛立ちとは、畢竟「同一性」に対する「差異」の苛立ちであるともいえるでしょう。
 

*〈私〉という自我の断片性

 

さらに、このような「共感」は〈私〉という同一性へ向けられています。しかしその共感の対象となる行為主体は論理的には常に「過去の〈私〉」であって「現在の〈私〉」ではありません。この点、本書のあとがきで最果氏は次のように書いています。
 
私は、今の私以外何一つ自由にはできない。過去の私は、正しくは私ではない。もう、とっくに他人になった。理解なんてできるわけもなく、コントロールできるわけもなく、コントロールもできるわけがなく、今さら懐かしいとか嫌いとか好きとか、思うことすら図々しくて、私はきみとは無関係だと、過去の私はまっすぐに私に伝えてくる。
 
(『十代に共感する奴はみんな嘘つき』あとがきより)

 

この点、いぬのせなか座氏は「最果タヒ全単行本解題(『ユリイカ』2017年6月号所収)」において本作におけるカズハの徹底した共感の忌避は、過去から現在、未来に至る自己の連続性を欠いた私、そのつど固有のバラバラに点在する私というあり方を、作品内部におけるカズハの暴力的なまでの否定の意志と、それを携えて交わされる他者との関係によって描き直す試みなのだといいます。
そして、物語終盤でカズハが友人たちに「つながり」を感じ、そうした「つながり」が実現された「いま・ここ」に、かけがえのなさを抱く本作の結末は彼女の心理的な成長を印象付ける場面と読める一方で、それがカズハ自身の過去にも未来にもつながりえない(だからこそ、かけがえのない)固有の瞬間として経験されたという感覚を我々に与えてくれるのではないだろうかと述べています。つまり、ここでは〈私〉という自我は連続したものではなく徹底して断片的なものとして捉えられているということです。
 

* 否定する自我

 
そして、このような断片的な自我のありようを千野帽子氏は「自我は風船か、それとも免疫機構か(『ユリイカ』2017年6月号所収)」において「否定する自我」として捉えています。つまり、最果作品においてはアプリオリな「自我」が先行して、それが何か外のものを拒絶するのではなく、何か情報の入力に抵抗する免疫機構として瞬時に発話主体の「自我」というものが立ち上がるということです。その例としての千野氏は次のようなフレーズを挙げています。
 

ゆめとか思い出とかそういう言葉で語りたいなら語ればいいけど、でも絶対その瞬間、何かが永遠に思い出せなくなるだろう。十七歳とはそういう季節だ。都合良く記憶を改竄した大人による解釈じゃ、絶対一生消化はできない。

 

(『渦森今日子は宇宙に期待しない。』あとがきより)

 
ここでは〈一七歳〉という〈季節〉を〈ゆめとか思い出とかそういう言葉で語りた〉がる〈都合良く記憶を改竄した大人〉の〈解釈〉を出した上で、そのようなものでは〈一七歳〉という〈季節〉を〈絶対一生消化はできない〉と否定しています。すなわち、このような否定の機構が最果作品における自我を構成しているということです。
 

* 差異と反復の詩学

 
こうした意味で『十代に共感する奴はみんな嘘つき』というタイトルを戴く本作はこのような最果氏の「否定する自我」をずばり体現する作品といえるでしょう。つまり本作においては〈十代に共感する奴〉という第三者的存在を措定した上でこの第三者的存在を〈みんな嘘つき〉と否定し、ここで立ち上げられた「否定する自我」を反復するかのようにテクストが紡がれていくことになります。
 
そして、自我というのはもともとだれでもそういう成り立ちをしているのではないだろうか、と千野氏は述べます。確かに、少なくともポスト構造主義以降の哲学はこのようなかたちでの自我の生成を問題にしています。例えば「差異」の持つ固有性を追求した思想家として知られるジル・ドゥルーズは主著の一つである『差異と反復』(1968)において〈私〉という自我を自明の前提とせず「差異」が「反復」することで自我が立ち上がるプロセスを「現在」「過去」「未来」という三つの位相からなる「時間」として論じています。
すなわち、ドゥルーズによれば〈私〉という「同一性」は「差異」が「反復」する効果として生じることになるわけですが、この単なる効果に過ぎない〈私〉という「同一性」が一旦成立するやいなや、直ちにそれがあたかも「差異」に先行する自明の前提であるかの如き転倒が生じることになります。
 
本作が暴露するのはまさしくこうした転倒であり、その意味で本作は「差異」が「反復」することで〈私〉というまとまりがいかにして生成されていくかという存在論的なプロセスを繊細かつ鋭い筆致で記述し尽くしていく、いわば差異と反復の詩学というべき作品であったといえるでしょう。
 
兄のこと、まだ好きだ。たぶんずっと好き。背中がちょっと広くなった気がして、私より、ビッチが大事だったりするのかな、なんてすねたくもなって、でも、それでも兄が好きだ。つめこまれるよね、吐き出したくなるよね、形がどんどん変わるよね。私の知らない7年間を溜め込んで、そうして生き延びてきた兄のこと、私は愛おしいと思う、頑張ったねって言いたい、また会えたねって喜びたい。嫌いになるわけがなかったんだ。変わっていく。変わって、それでも、私だけは変わりたくないって思う。みんな愛してくれる。変わったって愛してくれる。そのことに慣れたくない。傷つくことにも、傷ついた人にも。傷がふさがらなくてもいいから。忘れられなくても良いから。このままで生きていたい。私、今日が好きです。今が好き。今のすべての人が好き。
 
 
(『十代に共感する奴はみんな嘘つき』より)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人間の消滅から人間の再発明へ--客的-裏方的二重体の時代

* 人間の消滅とポスト・ヒューマニズム

 
ポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーは『言葉と物』(1966)において「人間の消滅」という挑発的なテーゼを提示して一躍時代の寵児としての地位を確立しました。難解な専門書にもかかわらず「バゲットのように売れた」といわれる同書は中世以降の西洋における「エピステーメー」の変化を主題としています。ここでいう「エピステーメー」とは、ある時代や社会の思考システムの基本的な布置を指しています。そしてフーコーは西洋の歴史におけるエピステーメールネサンス期(16世紀以前)、古典主義時代(17〜18世紀)、近代(19世紀以降)という三つの段階の境界線上で不連続的に変化してきたと主張します。
 
この点、ルネサンス期におけるエピステーメーの中心は「言葉(記号)」と「物(事物)」を同じ水準に位置付ける「類似」にありましたが、古典主義時代におけるエピステーメーの中心は「言葉」と「物」をそれぞれ別の秩序に位置付ける「表象」に置き換わります。そして近代のエピステーメーの中心には「言葉」と「物」の対応を担う存在としての「人間」が登場します。その上でフーコーはいまや「人間」も主役の座から降りようとしているといい、同書は「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と結語しています。
 
もちろん、フーコーのいう「人間の消滅」とはあくまでも「人間」という観念の終焉を指す思想的な出来事でした。しかし21世紀に入ると生物工学(ゲノム編集)や情報工学人工知能)といったテクノロジーの発展によって「人間の消滅」がいよいよ現実のものとなり始め、ここから従来の「ヒューマニズム(人間中心主義)」を揺るがす「ポスト・ヒューマニズム」というべき状況が前景化してくることになります。
例えばオゾンホールの解明でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンは完新世に代わる地質年代区分として「人新世」を提唱し、人類が地球環境に及ぼす影響に警鐘を鳴らします。またデイヴィッド・ベネターが主張する「人類はできるだ早く滅亡した方がいい」という「反出生主義」もいまや少なかならぬ支持を得ています。
 
そして、こうした「ポスト・ヒューマニズム」を体現する哲学的潮流として「思弁的実在論」と「加速主義」があげられます。「思弁的実在論」が人間の相関物としての世界(相関主義)の破棄を志向し「加速主義」が資本主義がもたらす人間の疎外をさらに加速させていくという点で両者は「ポスト・ヒューマニズム」に立つ思想に位置付けられます。
 

*「人間」なる幻想の訂正

 
こうした「人間の消滅」の現実化、あるいはポスト・ヒューマニズム的な思想状況の中で東浩紀氏は「哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体について」(2023:ゲンロン15所収)という論考で新しい時代における「人間」のあり方を提示しています。その論旨は次のようなものです。
伝統的に哲学は「人間」を「動物」の上位におきました。人間は動物と異なり理性や言語のような固有の精神的な能力を持つからこと文明や社会を生み出したのだと考えられてきました。しかし一方で人間とはそもそも動物であり、人間と動物に明確な線は引けません。加えて最近では人工知能の急速な発展により、いまや機械も人間のようにあたかも自分で考えているかのように言葉を話します。
 
このように人間固有の能力とされてきたものは動物も機械も部分的に持ち合わせています。こうした意味で確かに「人間」は消えつつあるといえます。しかし、そうであるにもかかわらず東氏は「人間」は消えないといいます。なぜならば「人間」とは一種の「幻想」でしかなく「幻想」はその本来の定義が失効しても「じつは」という訂正の論理によって自在に姿を変えて生き残っていくものであり、人はそんな訂正可能性を孕んだ無数の幻想に囲まれて生きているからです。
 
この点、一般的には「幻想」よりも「現実」の方が重要だと考えられています。しかし現実と幻想の関係は入り組んでいます。例えば平和のために戦争が行われるように、幻想のために現実が動かされていくこともあります。その意味で幻想とは文字通りの幻想ではなく現実的な存在でもあるといえます。
 

* 客的-裏方的二重体

 
そして東氏はここに「リゾート/テーマパーク」の比喩を重ね合わせます。「リゾート/テーマパーク」は「客」と「裏方(従業員)」で成立しています。ここで「客」は「リゾート/テーマパーク」の幻想を満喫して「裏方」は「リゾート/テーマパーク」の現実に従事しています。しかし、あたりまえのことですが「客」は別のところでは「裏方」となり「裏方」も別のところでは「客」となります。
 
すなわち、現代社会において人はときに「客」として幻想と戯れ、ときに「裏方」として現実に直面するということです。この二つの側面はひとりの人間の中でもひとつの社会の中でも不可分に結びついています。ひとりの人間がずっと裏方だったり、ずっと客であったりすることはありませんし、ひとつの社会の構成員がみな裏方であったり、あるいはみな客であったりすることもありません。皆が客と裏方の間を往復しながら生きています。
 
そのような現代人のあり方を東氏は「客的-裏方的二重体(消費者的-生産者的二重体)」と呼びます。この点、フーコーは近代の人間を「経験的-超越論的二重体」として捉えました。かつて人間は「経験的世界」と「超越論的世界」を往復して生きるものだと考えられてきました。ここでいう「経験的世界」と人が経験する個々の事実を指しています。そして「超越論的世界」とはそのような個々の事実を事実として受けれることを可能にする抽象的な構造を指しています。
 
しかし現代においてかつての超越論的世界は脳科学神経科学の発展により急速に経験的世界のなかに還元されつつあります。いまや超越論的世界などというのは幻想でしかありません。すなわち、フーコーが「波打ち際の砂の顔のように消える」と述べた「人間」とはこの「経験的-超越論的二重体」のことを指しています。
 
その一方で、フーコーのいう「経験的-超越論的二重体」はもっぱら東氏のいう「裏方」のみを念頭においた議論でした。しかしながら少なくとも現代においては人は皆「裏方」であると同時に「客」でもあります。そこでこのような「客的-裏方的二重体」を東氏は新しい「人間」の観念として提示します。これは先述した「人間」とは訂正の論理で姿を変える幻想であるという観点からいえば、かつて「人間」は経験と超越の往復する存在とみなされていたけれど「じつは」客と裏方を往復する存在であったということです。
 

* クレーム対応としての哲学

 
これだけ見るとなんだか言葉遊びのようにも聞こえてしまいますが、この「客的-裏方的二重体」という新たな「人間」を軸にして東氏は二つの実践的な提案を導き出しています。その一つは自然科学と哲学(に代表される人文科学)の役割分担を再定義する提案です。「経験的-超越論的二重体」としての「人間」が消えて「客的-裏方的二重体」としての「人間」が現れたとすれば、学問の体系も「経験的-超越論的二重体」を前提とした理解から「客的-裏方的二重体」を前提とした理解へとアップデートされなければならないということです。
 
この点、かつての超越論的世界が幻想に解消されてしまった現代において自然科学は現実を扱い、哲学は幻想を扱うことになります。幻想は幻想でしかありません。しかし幻想はある意味で現実的な存在です。いかに現実を解明したところで幻想から解放されない問題は山ほどあります。例えば自然科学がいつか愛のメカニズムを解明したとしても、おそらく人は愛の悩みから解放されないでしょう。
 
結局のところ人は幻想に振り回されて生きています。人は嘘を平気で信じます。いくら嘘だと指摘されても信じます。このような傾向はフェイクニュース陰謀論が跋扈する現代の情報環境においてより顕著となりました。そこで氏はこのような幻想の持つ厄介さに向き合う学として現代の哲学(に代表される人文科学)を位置付けます。これは「リゾート/テーマパーク」の比喩でいえば自然科学と哲学は共に裏方として「リゾート/テーマパーク」の運営に従事しますが、その担当業務が異なり、哲学はいわば客の幻想を扱うクレーム対応係として位置付けられるということです。
 

* ものを考えない場所を創り出すということ

 
そしてもう一つは「ものを考えない」場所を創り出すという提案です。この点、本論は東氏が東日本大震災の直前に創刊された『思想地図β』の創刊号で記した「消費社会の幻想が友と敵の分断を超える連帯を作り出す」という趣旨の直観から出発しています。もちろん、このような消費社会の幻想は裏方によって支えられています。そして、その直後に起きた原発事故が突きつけたものはまさにそのような裏方(電気)の現実でした。また近年におけるコロナ禍とウクライナ戦争も裏方(医療と軍事)の現実を再認識させるものであったといえます。
 
しかし一方でこのような裏方の現実ばかりを強調するとかえって社会は機能不全に陥ってしまうと氏はいいます。社会は幻想と現実の両輪で成り立っています。世界は裏方だけで成り立っていません。客もまた世界を作っています。
 
そもそも客が存在しなければ裏方も存在しません。裏方がものを考えるのは客がものを考えなくてもよいようにするためです。そして客は別の局面で裏方になり、裏方は別の局面で客となります。このように人は「ものを考える」局面と「ものを考えない」局面をモザイク状に組み合わされた状況を生きています。それが「客的-裏方的二重体」の時代であるということです。
 

* 人間の消滅から人間の再発明へ

 
だから、この時代の総体を捉えるためには、現実を見ろ、裏方を見ろ、おまえの安楽な消費生活が踏み付けにしてるものを見ろというだけではだめなのだ。現代社会はそんなに単純にはできていない。ぼくたちはむしろ、客であること、動物であること、「ものを考えないこと」の意味を考えねばならない。
 
(「哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体」より)

 

かつてマルティン・ハイデガーは『存在と時間』で人間(現存在)を世界への「配慮」で定義されるとしました。しかし、いまや配慮されるべき世界はハイデガーの時代よりも複雑かつ多様になり、おまけに遥かに高い解像度で把握されているため、そもそも何をどこまで配慮すべきなのかという問題が生じます。極論すれば文明的な生活すべてが地球環境に対する加害性を持っているとさえもいえるでしょう。
 
そこで配慮を続けるには見える世界を限定する必要があります。つまり「ものを考える」ために「ものを考えない」場所を作る必要があるということです。この点、現代人が「ものを考える」のは他の誰かが「ものを考えない」ですむためです。現実はあまりにも複雑だから人はお互いに配慮を融通しあって生きるしかないと東氏はいいます。すなわち「ものを考えない」場所を作り出すということは持続可能な配慮のための条件であるともいえます。
 
「現実を見ろ」という言葉はとても強く正しい響きを持っています。しかし、そもそも人は特定の(多くの場合自身によって都合のよい)幻想を介してしか現実を見ることはできません。どんなに手を伸ばしても人は「ほんとうの現実」には届きません。その意味で人は初めから幻想により有限化された現実を生きています。
 
けれども同時にこの幻想により有限化された現実は様々な局面で「じつは」という訂正の論理に開かれています。そして、この訂正の論理を有効に機能させるには「ものを考える」ことと「ものを考えない」ことの往還が必要となるということです。
 
人間であるために動物として生きるということ。ものを考えるためにものを考えないということ。こうした逆説的なあり方こそがあるいは、世界から超越という名の外部が消滅して現実と幻想が融解した現代における「人間」のあり方なのかもしれません。いずれにせよ「人間の消滅」が現実化しつつある「ポスト・ヒューマニズム」の進展は逆説的なかたちで「人間の再発明」を要請しているといえるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

映画は90分で何を語り得るか--『映画大好きポンポさん』

* 映画90分説

 
フランス文学者にして映画評論家の蓮實重彦氏は「映画90分説」というものを提唱しています。いうまでもなく、これは映画の上映時間の話です。氏は近著『見るレッスン』(2020)においても映画というものはほぼ90分で撮れるはずであると述べ、その近年における好例としてアメリカの監督デヴィッド・ロウリーの作品を挙げています。
ロウリーのこれまでの作品はほとんど90分で撮られています。例えばロウリーの事実上のデビュー作である『セインツ』(2013年)について蓮實氏はよくある題材を90数分で堂々と描き切っており、ロマンチックでありながらセンチメンタルにならず、しかもショットがことごとく決まっていると評しています。ここで氏のいう「ショット」とは、構図や光線だけでなく被写体との距離というものが決定的な要素となるそうですが、ロウリーの場合、被写体との距離をほとんど本能的に心得ている、と氏は述べています。
 
またロウリーの近作で実在した伝説的な紳士的強盗フォレスト・タッカーを描いた『さらば愛しきアウトロー』(2018)についても氏は彼は「何を見せて何を見せずにおくか」という選別を視覚的にわきまえていると評しています。例えば同作の冒頭のシーンではロバート・レッドフォード演じるタッカーが銀行で強盗を働いた後、ドアをチリンと鳴らして去っていきます。しかし傍目からみるとこの男が一体何をしているのかはよくわかりません。ただ単に窓口で預金を引き出しているだけのようにも見えます。そして男が銀行を出た後に「アメリカンバンクで強盗発生」「犯人は老人」と捜査網で情報が回り、報道もなされていく中で、ようやくここで観客は彼が強盗だとわかる仕掛けになっています。まさにここでロウリーはタッカーの「紳士的強盗」を描く上で「何を見せて何を見せずにおくか」という洗練された取捨選択をおこなっているということです。
 
この点、蓮實氏はロウリーの映画を観ると90分で収められるのなぜかということが理解できるような気がすると述べています。そして、氏は実際にジャン=リュック・ゴダールウディ・アレンといった名匠の作品の多くがほぼ90分であることを指摘し、優れた映画は90分ぐらいに収まっているものが多く、これは一体なぜなのかを突き詰めなければならないと述べています。こうした蓮實氏の力説する「映画90分説」に対する近年におけるアニメーション映画からの優れた回答として本作『映画大好きポンポさん』を挙げることができるように思えます。
 

* ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ

本作の原作は杉谷庄吾人間プラモ】氏が2015年5月に深夜帯の5分アニメとして提出した企画が元になっています。この企画が頓挫した後もポンポというキャラクターを捨てるのは勿体ないと判断した杉谷氏は「アニメが無理なら漫画にすればいい」と考え本作の原作を制作したそうです。
 
本作のあらすじはこうです。映画の都「ニャリウッド」にある「ペーターゼンフィルム」の敏腕映画プロデューサー、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット(通称ポンポさん)は「おバカ映画で感動させる方がカッコいいでしょう」という独自の哲学から分かり易いB級映画ばかりを好んで手がけてます。
 
またポンポさんは祖父である世界的名プロデューサー、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ペーターゼンから幼少期に2〜3時間級の長編映画を延々と観せられた経験に基づき「90分以下のわかりやす〜い作品は砂漠のオアシスって感じだったわ」と語り「2時間以上の集中を観客に求めるのは現代の娯楽としてやさしくないわ」「製作者はしっかり取捨選択して出来る限り簡潔に伝えたいメッセージを表現すべきよ」と蓮實氏のいう「映画90分説」を彷彿させるような持論を述べます。
 
暗い青春を映画に救われた映画オタクの青年、ジーン・フィニは映画監督を志望し、ペーターゼンフィルムに入社したものの、日々の業務においてポンポさんの敏腕ぶりに圧倒され、映画監督など自分には到底無理だと卑屈になる毎日を送っていました。なぜ自分を採用したのかとジーンから訊かれたポンポさんは「ジーン君がいちばんダントツで、目に光が無かったからよ」と答え「幸福は創造の敵」「現実から逃げた人間は心の中に自分だけの世界を創る」「だから私はその社会不適合な目をしたキミに、期待しているの」とこれまた独自の持論を述べます。
 
映画に恋をして田舎からニャリウッドに出てきた少女、ナタリー・ウッドワードは映画女優を目指し、アルバイトを掛け持ちして生計を立てながら何十回もオーディションを受けては落ち続けていましたが「夢を捨てるためにここまできたんじゃない、夢を叶えるためにここにきたんだもん」とどこまでも前向きです。ポンポさんはオーディションを受けにきたナタリーを「地味」という理由で一度は落としますが、その後、何か惹かれるものを感じて、彼女を今をときめく若手女優であるミスティアの付き人にします。
 
ある日、ポンポさんはジーンに現在手がけている映画の15秒予告編制作を依頼します。その出来栄えを見定めた後、ポンポさんはジーンに自ら書き下ろした新作映画の脚本を読むように申し渡し、ジーンはその内容に早くも大ヒットを確信します。
 
伝説の名優、マーティン・ブラドックの10年ぶりの復帰作品となるこの新作映画『MEISTER』のヒロイン役にポンポさんはナタリーを抜擢します。というよりも、この映画の脚本はナタリーがヒロインを演じることを想定した当て書きでした。
 
同時にポンポさんは『MEISTER』の監督にジーンを指名します。ポンポさんは予告編映像の出来栄えや脚本に対する反応からジーンこそがこの映画を撮るのに相応しいと判断したのでした。
 
いきなり降って沸いた話に戸惑うしかないジーンとナタリーでしたが、2人はお互いの映画に対する想いを語り合うことで不安を払拭し『MEISTER』のクランクインに臨むことになります。
 

* 王道のシナリオと斬新な映像

 
こうしてあらすじだけ見ると、本作は大まかにいえば不遇を託ってきた若者がチャンスを掴み夢に向かって努力するという、わりとありふれた王道のシンデレラストーリーのようにも思えてしまいます。しかしながら、こうした王道のシナリオでいかに魅力的な映画を撮るかがまさしく本作のテーマであるといえます。
 
この点、本作の劇中劇『MEISTER』の脚本を読んだジーンは「年老いた芸術家が自然や若者と触れ合って心を癒す・・・物語としては定番で新味はない・・・ですけど、登場人物の魅力に引き込まれる!」と述べていますが、この劇中劇を反復するかのように『映画大好きポンポさん』という作品自体が「物語としては定番で新味はない」が「登場人物の魅力に引き込まれる」ような映画を目指して、あえて王道のシナリオを採用したのではないかとも考えられます。
 
事実、この王道のシナリオを本作は斬新な映像で描き出していきます。例えばジーンが撮影フィルムを編集するシーンは彼の心象風景に置き換えられ、大きな剣を振りかざして次々フィルムを切り貼りしていくというダイナミックなアニメーションとして表現されています。また一般的に映画において場面転換は観客の集中力を削ってしまうことから極力避けた方がよいというのがセオリーとされていますが、本作ではその場面転換を車のワイパーやドアの開閉といった動きになぞらえたり時間経過をテロップで挿入したりと観客の集中力を途切れさせないための細やかな演出上の工夫が凝らされています。
 

* オブジェクトレベルとメタレベルのリンク

 
そして何よりも本作最大の特徴はその展開が劇中劇『MEISTER』と映像的なリンクを果たしているという点にあるといえるでしょう。物語後半、ジーンにとっての最大の試練は撮影が全て終わった後の編集作業から始まります。思い入れのあるシーンを次々に削っていく中でジーンの精神もまた次第に削られていきます。
 
そんな折、偶然出会ったポンポさんの祖父、ペーターゼンから「君は映画の中に自分を見つけたんじゃないかね?」「君の映画に君はいるかね?」と問われたことでジーンは『MEISTER』という物語の中に自分自身を見出します。ここから本作はオブジェクトレベル(『MEISTER』)とメタレベル(『MEISTER』に向き合うジーン)を縦横無尽にリンクさせていきます。
 
しかしながらジーンの試練はそれだけではありませんでした。全部撮り終わったと思ったのにもう一つ足りないシーンがあることにジーンは気がついてしまいます。ここでジーンは一大決心をしてポンポさんに追加撮影をしたいと申し出ることになります。
 
当然のことながら、そのためには一旦解散したキャストとスタッフのリスケジュールと追加費用が必要となります。もちろん当初難色を示していたポンポさんでしたが「それでも僕には映画しかありません」と土下座するジーンの熱意に心打たれ、彼女は追加撮影のための資金繰りに奔走します。
 
こうした後半の展開もやはり王道のシナリオなのかもしれません。けれどもこの王道のシナリオが、やはり王道のシナリオである『MEISTER』とリンクすることでその映像には圧倒的な熱量と強度が宿ることになります。おそらくはここに本作があえて王道のシナリオを採用した理由を見出すことができるのではないでしょうか。
 

* 映画は90分で何を語り得るか

 
この点、蓮實氏は『見るレッスン』において今、日本にはプロデューサーが本当にいるのかどうかという大きな問題があると述べています。そこで氏は現在主流の製作委員会方式の下では1人のプロデューサーが「こうだ」と決断することができず、変わったもの新しいものがなかなか生まれないといい、誰が本当のプロデューサーか分からない製作委員会方式というものは便利だけれども非常に問題があり、今の映画界で一番足りないのはプロデューサーだと思うと主張します。こうした意味で、もしかして本作はポンポさんというキャラクターを通じて現在の日本映画に必要な理想的なプロデューサー像を提示しようとした映画であったのかもしれません。
 
また、蓮實氏は映画の本質として「驚き」と「安心」を挙げています。すなわち、人は映画を観て何より驚きたいという欲望を持っているけれども、同時に映画を観て安心したいという欲望も持っているわけですが、蓮實氏は「驚き」とは「安心」であり「安心」とは「驚き」であるような不思議な世界が映画の表象性を支えていると述べています。そうであれば、ここで氏のいう「驚き」と「安心」のバランスがちょうど取れる上映時間があるいは「90分」なのかもしれません。
 
この点、本作は王道のシナリオで「安心」を与え、斬新な映像で「驚き」を与える作品であり、同時にオブジェクトレベルでの「安心」とメタレベルでの「安心」を縫合することで「驚き」を創り出した作品といえるでしょう。果たして本作のラストで初監督作『MEISTER』の一番気に入っているところを聞かれたジーンは「上映時間が90分ってところですね・・・」と答えます。そして本作『映画大好きポンポさん』もまた見事に「90分の映画」です。こうしたことから本作は映画は90分で何を語り得るかを追求した極めて実験的な映画論映画だったといえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大江文学における〈物語〉--尾崎真理子『大江健三郎の「義」』

* 大江健三郎柳田国男

 
1979年に発表された大江健三郎氏の代表作の一つである『同時代ゲーム』は日本における本格的なポストモダン小説の先駆けとして評価される一方で、批評家の小林秀雄氏が「二ページでやめた」と大江氏自身が自虐的に伝えるほどに極めて難解で複雑怪奇な作品として知られています。
同作はメキシコに滞在中の歴史家である「僕=露己」が双子の妹である「露巳」に宛てて書き始めた「第一の手紙」から「第六の手紙」までが、あたかも六つの章のように並んでいます。この六通の手紙は「僕」が幼い頃から「父=神主」に教えられてきた故郷の《村=国家=小宇宙》の歴史を縦軸として、自分たち五人兄妹が潜り抜けてきた数奇な敗戦後の物語を横軸として織り込まれており、その中心には神話の登場人物であると同時に現在も妹のもとで成長しつつある「壊す人」という謎の生命体が存在します。
 
それぞれが長大な六通の手紙は「妹よ」という呼びかけで始まります。ここで「僕」は「壊す人」の巫女として父に育てられた妹の露巳に宛ててしかこれらの長い手紙は書き得ないと信じ込んでおり、彼は《村=国家=小宇宙》の歴史と自身の体験を縦横の軸として妹に向けた手紙を書き進めていくことになりますが、その縦横の軸はやがて歪みや断絶を孕み、限りなく多義的な偽史として膨らんでいくことになります。
 
こうした『同時代ゲーム』で示されたモチーフはその後『M/Tと森のフシギの物語』において書き直され、さらに『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』から最後の小説『晩年様式集』に至るまで、大江氏の長編小説の中にさながら「七通目の手紙」のように繰り返し反復される事になります。
 
この点、大江氏のインタビュー集『大江健三郎 作家自身を語る』の聞き手を務め『大江健三郎全小説全解説』の著者でもある元読売新聞文化部記者で文芸評論家の尾崎真理子氏は『同時代ゲーム』という謎めいた作品の背後には日本民俗学の始祖として知られる柳田国男に対する大江氏の強い共感があるといいます。事実、同作の単行本付録の対談で大江氏は次のように語っています。
 
「僕はこの二年間ほど、毎日、『柳田國男集』を読むことを続けていますが、柳田國男は、ある原初的なものに対して自分の精神が強く方向付けられることを「懐しい」と表現している。過去に向かってだけではなく、未知のものに対しても「懐しい」と言う。そして僕の場合「懐しき」の対象は《村》です。それも実際の僕の育った《村》ではなく、《村》の純粋な要素を完全にそなえた《村》でなければならない。」
 
(『同時代ゲーム』単行本より)
 
こうした観点から尾崎氏は大江作品における「ギー」という存在に注目します。周知のように大江氏を世界的作家に押し上げた『万延元年のフットボール』には森の奥深くで暮らす正体不明の「ギー」という男が登場しますが、この「ギー」は以降、数々の大江作品に「ギー兄さん」「新しいギー兄さん」「ギー・ジュニア」などと姿も立場も変えながら、あたかも一度死んで生まれ変わるように繰り返し登場する事になります。
 
この「ギー」とは柳田(やなぎた)の「ぎ」に由来するのではないか?と尾崎氏はいいます。こうした疑問を導きの糸として柳田国男の影響から大江作品を読み解いていく極めて画期的な大江健三郎論が本書『大江健三郎の「義」』です。
 

* 遠野郷という《村》

第一部「柳田国男の『美しき村』」では柳田国男を軸として『同時代ゲーム』の他、その発展系である『懐かしい年への手紙』『燃え上がる緑の木』といった大江作品が読み解かれます。柳田国男は1874年(明治8年)7月31日、飾磨県神道東郡田原村(現・兵庫県神崎郡福崎町)辻川に松岡賢次、たけの六男として生まれました。1935年(昭和10年)1月31日生まれの大江氏とは60年違いです。
 
1885年、当時10歳だった柳田は深刻な飢饉を体験し、その経験が彼を民俗学の研究に駆り立て、農商務省に入る動機になったとされています。1897年、東京帝国大学法科大学政治科に入学した柳田は農業政策を志し、卒業後は農商務省農務局農政課に配属になります。
 
その一方で柳田は文学者としての顔を持っていました。14歳から森鴎外の主宰する「しがらみ草紙」に短歌を投稿し始め、第一高等学校の在学中には『文學界』に新体詩を投稿し、官僚になった後も島崎藤村田山花袋国木田独歩という現代から見れば錚々たる顔ぶれとともに自邸で「土曜会」という西欧文学の研究会を主宰しています。
 
当時、日本の文学界は島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』に象徴される自然主義の時代を迎えていました。そして柳田が1910年に発表した『遠野物語』もまた、こうした自然主義の時代に対するひとつの回答であったといえます。
 
遠野物語』は「遠野郷(岩手県遠野地方)」に伝わる逸話や伝承を記した説話集であり、我が国の民俗学における先駆的な著作として知られています。そして、大江氏が柳田に惹かれたのは、やはり『遠野物語』があったからにほかならない、と本書はいいます。すなわち、大江氏が『同時代ゲーム』に書こうとしたのは柳田が70年も前に描いていた「遠野郷」のような《村》であったということです。
 
この点「遠野物語」の舞台となった遠野盆地を文化人類学者の米山俊直氏は「平野宇宙」に対する一つの完結した世界である「小盆地宇宙」の典型として位置付けています。また大江氏の出身地である愛媛県大瀬村(現:内子町)もやはり盆地(内子盆地)に位置しています。こうしてみると、大江氏は「遠野郷」に「ある原初的なものに対して自分の精神が強く方向付けられる」「『懐しき』の対象」としての「《村》の純粋な要素を完全にそなえた《村》」を見出していたのかもしれません
 

* ギー兄さんと固有信仰

 
そして『同時代ゲーム』における「僕=露己」と「露巳」の関係はその8年後に公刊された『懐かしい年への手紙』(1987)において「僕=K」と「ギー兄さん」の関係にそのまま移行することになります。
同作のあらすじはこうです。敗戦直前、四国の谷間の村の「在」と呼ばれる高台にある屋敷へ出向いた10歳の「僕」はそこで手伝いの女性「セイさん」と暮らす「ギー兄さん」という15歳の美しい少年と出会います。その後、2人は東京の大学に進学し「僕」は在学中に作家としてデビューし、そのまま東京で結婚して家庭を築きます。
 
一方で地元に戻ったギー兄さんは村の森林組合に籍を置き、大学で学んだ英文学への関心を発展させてイェーツやダンテを本格的に独学する生活を始めますが、1960年の安保反対デモで大怪我を負ったことが契機となり、谷間の村の近代化を目指し、私財を投じて「根拠地」を作り、地元の若者を集め「美しい村」という名の集落の建設に乗り出します。
 
大江氏の分身である作家の「僕=K」がこの長編の語り手ですが、主役は間違いなく「ギー兄さん」です。そして氏はこのギー兄さんに「村の信仰」という形でかつて柳田が執拗に探求し続けた日本古来の「固有信仰」を語らせています。ここでいう柳田の「固有信仰」とは端的にいえば、死んだ者は子や孫たちの供養な祭礼を受けて祖霊になり、故郷の山に昇って子孫の繁栄を見守り、盆や正月などには家に帰ってくるといった日本人の素朴な死生観のことです。
 
少年の頃からギー兄さんと「僕」はそれぞれひそかに「魂」の行方をめぐる谷間の伝承を自分の支えとしていました。南方の島で死んだら「魂」が戻って来られるかと心配する「僕」を出会った頃のギー兄さんはこんなふうに慰めます。
 
「世界じゅうさまよいめぐってもな、この森の自分の木だけが住み家なのじゃから。それならば永いこと探しまわっても、結局はここへ戻るほかなかろうが?Kちゃん、天皇陛下には、この谷間や「在」は、なにも特別なものではなかろうがな?」
 
(『懐かしい年への手紙』より)
 

 

ここで大江氏は柳田民俗学の根幹をなす「常民」の思想をさりげなくも明確にギー兄さんに語らせています。さらに同作においてギー兄さんが企てる「美しい村」にも柳田のいう「美しき村」(1940年)のイメージが直接反映されています。この「美しい村」の構想は結局その後頓挫してしまうものの、そのイメージは後の大江作品の中にも繰り返し現れています。
 

* 固有信仰から世界モデルへ

 
さらに『懐かしい年への手紙』の事実上の続編となる三部作『燃え上がる緑の木』(1993〜1995)に登場する「新しいギー兄さん」もまた柳田を体現する人物です。同作のあらすじはこうです。語り手の「サッチャン」は両親を亡くした後、遠縁にあたる本家の女主人「オーバー」の庇護を受け東京の大学に進学しますが、故郷に戻ってオーバーの世話を引き受けていました。特別な治癒能力と知恵の深さで信望を集めてきたオーバーは『懐かしい年への手紙』の「さきのギー兄さん」による農業改革の試みとその顛末をすべて知っています。
そしてオーバーは東京から帰ってきた遠縁にあたる青年「隆」に住居と農場を与えて土地の伝承を語り伝え、自身の死が近いことを悟ると彼を「ギー兄さん」と呼び始めます。ほどなくオーバーが命を閉じると屋敷の継承者となった「ギー兄さん」はオーバーから受け継いだ治癒能力で病気の子供を治したことで、彼を「救い主」と呼ぶ親たちが押し寄せ、テレビ番組を通じて全国に知られ、彼の元での共同生活を望む者たちが集まってきます。
 
ここで大江氏はかつて柳田が提唱したこの国の「固有信仰」を更新し、日本のみならず同時代を生きるすべての人々へ向けて、人間の精神の基底にある普遍的な死生観の「世界モデル」を提示しようとしている、と本書は述べます。
 
1980年代におけるバブル経済と大衆消費社会の進展の中で、かつて柳田が「美しき村」で描いたような日本的な「故郷」の風景は急速に消滅し、昭和の終焉と共に「家」や「祖霊」の存在感も希薄化していきました。だからこそ、このような時代の変転の中で大江氏は古来より穏やかに人々を繋いでいた日本の「固有信仰」を新しく捉え直す必要を感じ取っていたのではないでしょうか。同作が提示する「世界モデル」とは次のようなものです。
 
「人々は、この谷に生まれ育ち、一度は多様な世界である谷間の外に出るが、やがてふたたび源としての谷に帰ってきます。谷間に流れる川は、本来の地形にあわせて流れると同時に、登場人物の動きからすれば、逆にも流れています。仮想された地形には逆勾配があるのです。「流出」の勾配と同時に、「帰還」の勾配があります。」
 
「なぜ、逆の勾配が発生するのでしょうか。「四国の谷の森」に、この谷に生まれた人びとが死を迎えると、魂は森の樹木の根から、空に向かって昇っていくからです。森には、人を帰還させる力がある。そのように「場所に力がある」のです。つまり、Kは、流出=生、帰還=死という〈生と死の場〉の仮想された地形を構築しています。それが、Kが描出したひとつの「世界モデル」なのです。」
 
(『燃えあがる緑の木』より)

 

 

* 島崎藤村平田篤胤

 
第二部「『万延元年のフットボール』の中の『夜明け前』」では大江氏を世界的な作家に押し上げた代表作『万延元年のフットボール』(1967)を切り口に柳田国男と同時代の作家である島崎藤村と両者共通のルーツである江戸期の国学者平田篤胤が大江作品へもたらした影響が論じられます。
 
まず本書は『万延元年のフットボール』とは大江氏が島崎藤村の長編『夜明け前』という類なき歴史小説を乗り越え点とすることで自身と日本近代文学を未踏の境地に導くことに成功した作品であるといいます。すなわち、藤村が『夜明け前』において欧風近代化から取り残されていった村の典型を描き出したように、大江氏もまた『万延元年のフットボール』において大衆消費社会の到来によって崩壊してゆく地域社会の典型を描き出すことで、国の中心ではなく周縁から、変わりゆく時代の核心をとらえようとしていたということです。
 
さらに本書はここから柳田と藤村の父が共に師として仰いだ平田篤胤の思想に光を当てていきます。医学、地理学、天文学といった西洋諸科学を幅広く摂取しつつ独自の復古神道を唱えた篤胤の思想は後には大東亜共栄圏を正当化するイデオロギーともなり、それゆえに戦後長らく顧みられることはありませんでしたが、21世紀に入り平田神社に秘蔵されていた膨大な資料が調査され、現在では新たな側面からの再評価が進みつつあります。
 
例えば、この調査に携わった吉田麻子氏はその著作『平田篤胤』(2016)において「カミ」の語源を篤胤は「牙(カビ)」だと考えており、その根底にあるものは男女の性による「生命のはじまり」であり、湧きあがろうとする「生の勢い」への賛歌というべきものであり、それは既成の宗教思想である儒教や仏教からは到底発想しえなかったと述べていますが、本書はこうした意味での「カミ=牙(カビ)」を『同時代ゲーム』における「壊す人」に重ね、同作を貫く《村=国家=小宇宙》という概念も篤胤につながるものではなかったかと述べています。
 

* 大江文学における〈物語〉

 
戦後民主主義の申し子としてデビューした作家、大江健三郎は一般的にウィリアム・ブレイク、ウィリアム・バトラー・イェーツ、ミハイル・バフチンエドワード・サイードジェームズ・フレイザーといった西洋の作家や文学理論に多大な影響を受けていると理解されてきました。こうした中で本書は柳田国男島崎藤村平田篤胤という3人の日本人に注目します。
 
若き日の柳田国男島崎藤村は「言文一致から自然主義へ」という日本近代文学の黎明期において情誼を交わし、共に自身の父を通じて西欧の知と最初期に格闘した日本人である平田篤胤国学を知ることになります。そして大江氏はこの3人をずっと自身の創作を拡げる想像力のジャンプ台として切実に必要としていたと本書はいいます。こうしたことから本書は「義」で結ばれた彼らの影響を抜きに大江健三郎の文学を、すなわち「戦後の精神」を考えるわけにはいかないと述べています。
 
そして、ここでいう〈精神〉とは、あるいは〈物語〉とも言い換えることができるのではないでしょうか。柳田は終戦後まもなく上梓した『先祖の話』(1946)において「人を甘んじて邦家の為に死なしめる道徳に、信仰の基底が無かったといふことは考へられない。さうして以前にはそれが有つたといふことが、我々にはほゞ確かめえられるのである」と記しています。ここには日本古来の「固有信仰」を明らかにするという学問的な問題意識と共に、先の戦争における死者を救済し、慰霊しなければならないという実践的な問題意識がありました。
 
この点、社会学者の大澤真幸氏はこのような柳田の問題意識を「第三者の審級(共同体を意味づけ正当性を付与する超越的他者)」という観点から説明しています。すなわち、先の戦争において戦場に散華した若者たちの死を根拠づけていたはずの「国体」や「皇国」という観念が敗戦により無価値なものに転じてしまった以上、その死を無価値から救済するには、もっと深い伝統からその死を意味づけなおすほかはなく、そうした参照枠として柳田が提起したのが「祖霊崇拝(=固有信仰)」であったとして、大澤氏は柳田の試みを「(敗戦によって喪失してしまった)第三者の審級」の再構築として位置付けています。
 
こうしてみると、柳田における「固有信仰」の探究とは日本人の生を基礎づけるための〈物語〉の探究であり、大江氏はこうした「固有信仰」という〈物語〉を「世界モデル」という、より普遍的な〈物語〉へと更新しようとしていたようにも思えます。そして、こうした柳田と大江氏が共有した〈物語〉をめぐる問題意識はその後、ポストモダン化、グローバル化の加速的進展により「第三者の審級」が撤退した現代において、より一層アクチュアルなものになったといえるのではないでしょうか。